上田城と真田幸村について【長野の旅】

ここは上田市天神!

信州真田氏ゆかりの真田昌幸が築城した上田城へ行ってきました。この記事では真田幸村及び真田氏について書いていきます。

平成28年度のNHK大河ドラマは真田幸村が主人公の「真田丸」でしたね。真田幸村は真田昌幸の次男として生まれました。1600年の関ヶ原の戦いで西軍(石田三成側)に昌幸、幸村が属し東軍(徳川家康側)に幸村の兄、真田信之がつき親子分かれて戦ったことは有名です。

結果はご存じの通り東軍が勝利したのですが、昌幸、幸村は後の二代目将軍の徳川秀忠の大軍を上田城に籠城して翻弄し追い返しています。これで関ヶ原の戦いに秀忠は遅参し徳川家康に怒られてしまいました。

しかしながら大局で負けてしまったので昌幸、幸村親子は流刑になってしまいました。本来なら死罪ですが信之、義父の本多忠勝が助命嘆願することで生き残ります

 

大阪冬の陣

2015-06-17 14.52.40真田信之は関ヶ原の戦い後に上田と沼田の領地を手に入れました。かたや真田幸村はこのあと出家し俗世から離れます。1614年に徳川氏と豊臣氏の関係が悪化し戦争は避けられない状態になると豊臣家は浪人を集め始めました。この際に幸村のもとに豊臣方から使者がやってきてこれに呼応。大阪冬の陣が始まります。

 

幸村死す

2015-06-17 14.58.04大阪冬の陣で幸村は大阪城の一角の惰弱な箇所を発見し真田丸という出城を造り徳川側を挑発し損害を与えました。この話で一躍真田幸村は有名になったと伝わっています。しかしながら徳川勢の大砲で侍女が粉砕されてビビった淀殿が徳川家康と和議を結んでしまいます。そして真田丸は取り壊されました。 
翌年の1615年に徳川家康が豊臣氏に難癖をつけて大阪夏の陣が始まります。幸村は玉砕覚悟で家康本陣に特攻し家康を驚かせたそうです。しかし圧倒的な兵力さに徐々に追い詰められ幸村は打ち取られてしまいました。享年49歳です。

 

2015-06-17 14.57.49ちなみに兄の信之は1658年に亡くなりました。なんと93歳です!父の昌幸は1611年(享年65歳)大阪の陣を迎えることなく亡くなっています。

 

真田氏の家系について

2015-06-17 14.54.35真田井戸。
真田氏は優秀な人間を多く輩出しています。まずは真田幸隆。幸村の祖父に当る人物で真田氏の礎を作り武田信玄に仕え武田二十四将の一人に数えられました。
幸隆の長男、真田信綱と次男の真田昌輝は武勇に優れ武田信玄に高く評価されていたといわれています。彼らも父親と同じく武田二十四将に選ばれています。信綱はとにかく戦が強く前線で活躍しましたが長篠の戦いで討ち死にしてしまいます。昌輝は武田信玄に「わが両眼なり」といわせたほどの男で兄と共に出陣することが多かったそうです。兄同様長篠の戦いで戦死してしまいます。
そして三男、真田昌幸。個人的には真田家の中ではこの人が好きです。計略家で強運の持ち主。武田氏→織田氏→後北条氏→徳川氏→上杉氏→豊臣氏と渡って生き延びています。豊臣秀吉にも信用されず、徳川家康からも危険視されたけど真田氏を存続させた凄い人ですね。関ヶ原の戦いで親子分かれて戦ったのもこの人の策略なんじゃないかと思ってしまいます。

おしまい!

上田城

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。