国宝の松本城が信長の野望にある深志城と初めて知った日【長野の旅】

ここは松本市丸の内!

上田城を後にして松本市方面へ。私はバイク(原付)で旅をしているので雨が降ってくると悲惨です。この日は松本市付近でものすっごい雷雨に襲われ泣きそうになりました。更に雨水によってスマートフォンが壊れて泣きました。まさに泣きっ面に蜂です。

 

国宝の松本城天守と信長の野望

2015-06-17 16.57.32松本城は1500年代前半にこの辺りを治めていた信濃守護の小笠原氏がここから東に行ったところにある林城(跡)の支城として築城したといわれています。当時は深志城と呼ばれていました。

歴史シミュレーションゲーム信長の野望を小学生の頃からプレイしていたので深志城の名前は以前から知っていましたが、松本城の前身が深志城だということは知りませんでした。その後、武田信玄の信濃侵攻が始まり小笠原氏は敗北し武田の支配下に置かれ、林城は廃城になり深志城が長野北側の重要拠点になりました。

 

2015-06-17 16.45.39武田氏が滅び織田信長の支配になったとき松本城は木曽義昌が治めました。ところが本能寺の変が起きたことにより織田家の旧領地の奪い合いが始まります。

どさくさ紛れに旧領主の小笠原氏が上杉景勝の援護をもらい木曽義昌を追い払います。しかしながら小笠原氏は徳川氏に属していたため主の関東転封にあわせて小笠原氏も関東に国替えになりました。せっかく取り戻したのに残念!

 

2015-06-17 16.38.11その後、豊臣家臣の石川数正(もともとは徳川の重臣だった)が入城し、松本城の天守を造りまた城下町などの整備を行いました。石川数正の息子が大久保長安事件(家康による粛正)で改易になると再び旧領主小笠原氏が入城します。

ところがまた国替えで移動…。 小笠原さん本当にかわいそうです…。江戸幕府が開幕したあとは水野氏、戸田松平氏の居城となりました。

 

2015-06-17 16.53.38徳川幕府が滅び明治新政府によって廃藩置県が行われました。この頃になると城の存在意味がなくなり日本各地で城の取り壊しや払い下げが行われます。城郭=江戸時代の象徴という理由で廃城令を発布したのでしょうが…。

松本城も例外ではなく売りに出され一時は破壊される予定だったそうです。『松本城を壊されてたまるものか!』市川量造さんが地元住民や東京、大阪で募金を呼び掛けて買戻ししました。もし市川さんが立ち上がらなければ松本城はなくなっていたかもしれません。

 

終わりに

国宝5城をまとめましたので時間がある方は見て行ってください!

日本の国宝5城を巡る歴史旅!ついに完遂。

松本城

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