東京タワーすぐ近く!増上寺について【東京の旅】

ここは港区芝公園!

まずは増上寺へのアクセス方法から。電車ならば都営地下鉄三田線の芝公園駅から3分程で着きます。JRなら浜松町駅から10分程です。自動車で参拝するなら東京タワーを目指しましょう!カーナビで増上寺を検索すればヒットするので困らないはずです。10台程停められる駐車場もありますので混雑時じゃなければ問題ありません。徳川将軍家墓所に入らなければ入場料は無料です。お賽銭する方はたくさん小銭を持っていきましょう!それでは本題に入りましょう。

 

2015-10-20 14.50.36増上寺は浄土宗の七大本山の一つです。他の6つは神奈川県鎌倉市「光明寺」、長野県長野市「善光寺」、京都市左京区「金戒光明寺」、京都市左京区「知恩寺」、京都市上京区「清浄華院」、福岡県久留米市「善導寺」。 
そもそも本山ってなんだろう?って話なんですけど。江戸時代に宗教をまとめるという目的でつくられたようです。ピラミッドを考えていただければと思います。頂点に総本山を、一段下に大本山、その下に本山。最後に末寺といった感じです。※宗派によって呼び方が違ったりします。

 

三縁山広度院 増上寺

2015-10-20 14.39.03三解脱門。1622年に建立。
大きい門の左右に小さい門がある門のことを三門といいます。「むさぼり、いかり、おろかさ」の三つの煩悩を解脱する門のことを三解脱門というそうです。 
増上寺は1393年(室町時代)に酉誉聖聰上人(ゆうよしょうそうしょうにん)によって
建てられました。真言宗の寺院を改宗して建て替えた形です。酉誉聖聰上人も最初は真言密教を学んでいたようですが途中で浄土宗に帰依しました。
当時増上寺は現在の千代田区平河町付近にありました。そして徳川家康が江戸に転封され江戸の拡張とともに増上寺は現在の港区芝に移転されました。江戸時代には徳川家の菩提寺、浄土宗の学び場として常時3000人の僧侶が修学に励む寺院になりました。 
明治時代に入ると大火事によって本堂が消失。そしてその他の建物も太平洋戦争の戦火で一部残し消失しました。戦後、復興により次々と寺院が建設され今に至ります。

 

2015-10-20 14.58.03方丈門。(黒門) 
建立年は不明ですが江戸時代初期に建てられたのではといわれています。方丈(庫裏)の門。方丈とは寺院の僧侶が居住する場所。三解脱門より方丈門のほうが味がでていて雰囲気がいいです。

 

2015-10-20 14.51.25法然上人幼少時の像。法然上人については総本山知恩院に行った時にでも詳しく書きます。
浄土宗の宗祖です。

 

 

2015-10-20 14.44.06安国殿(あんこくでん)。
安国殿の中にある秘仏黒本尊は徳川家康が崇め、その加護により災難を避け、戦に勝利できたという伝説があります。黒本尊は阿弥陀如来像です。

 

2015-10-20 15.13.56光摂殿(こうしょうでん)。2000年に「心を洗い、生きる力を育てる」という思いを込め建てられた講堂、道場です。

 

2015-10-20 15.17.37圓光大師堂(えんこうだいしどう)。2009年に建立。
法然上人800年御忌(ぎょき)の際に総本山知恩院から法然上人の御浄砂(御身柄)を拝領しここ圓光大師堂に奉安されています。御浄砂の意味がわからないです。ぼんやりとはわかるのですが。骨ですかね?

 

2015-10-20 14.56.35経蔵。
徳川幕府の助成によりつくられました。中に所蔵されていた大蔵経(宋版、元版、高麗版)は徳川家康が増上寺に寄進したもので国の重要文化財に指定されています。今はこの裏にある倉庫にしまってあるそうです。大蔵経は仏教の聖典を総集したもの。

 

2015-10-20 14.57.49慈雲閣(開山堂)。 
増上寺開山した酉誉聖聰上人の550年遠忌記念事業の中心として、戦災で焼失した開山堂の再建を企画、建築されました。

 

2015-10-20 15.22.56大納骨堂。 
1933年に建立されました。この大納骨堂は戦災をまぬがれた数少ない建物の一部です。有縁無縁のご本骨、ご分骨が収められ、お祀りされています。

 

2015-10-20 14.48.20四菩薩像。
手前から文殊菩薩、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩。1258年に建石されたといわれています。もともと増上寺にあったものではなく、ここから北西に少し行ったところにある地蔵山に安置されていたそうです。

 

2015-10-20 15.28.59西向聖観世音菩薩。 
現在東京タワーがある場所は観音山いわれています。鎌倉時代に執権、北条時頼が観音山にお堂を建てました。お堂の中には鎌倉街道(六本木方面)に向いた聖観音が安置されていたそうです。その聖観音を増上寺内に移動させました。

 

2015-10-20 14.44.39子育て招福地蔵。
1300体の地蔵群です。最初に見た時は数の多さにびっくりしました。

 

2015-10-20 15.09.58鐘楼堂。 
1633年に建立されましたが焼失。戦後に再建されました。江戸時代の川柳で「今鳴るは芝か上野か浅草か」と詠われています。芝は増上寺、上野は寛永寺、浅草は浅草寺のことです。
説明板に江戸三大名鐘の一つと書いてありましたが、おそらく川柳で詠われている三つの寺院の鐘のことだと思います。

 

2015-10-20 15.07.13水盤舎(手水舎)。 
徳川三代将軍家光の三男の霊廟(れいびょう)にあった水盤舎。明治期の廃仏毀釈、昭和期の空襲の被害にあわずそのまま残りました。かなり貴重な建物です。

 

2015-10-20 15.11.08熊野神社。 
「くまの」じゃなくて「ゆや」と読むそうです。1624年に熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に分霊したものです。神社系はよくわからないです。寺院内に神社?と感じましたが仏教となにかしらの関係があるそうです。

 

2015-10-20 15.24.04貞恭庵(ていきょうあん)。
14代将軍徳川家茂の正室、皇女和宮ゆかりの茶室。確か1000円くらいで抹茶が飲めます。
一人で入る勇気はありませんでした。

 

2015-10-20 15.01.10仏足石(ぶっそくせき)。 
明治に建石されたものです。古代インドでは仏像をつくる習慣がなかったので釈迦の足跡を石に掘り信仰の対象にしました。

 

2015-10-20 15.02.54詠唱発祥の地。 
吉水講という吉水流詠唱の法会があります。戦後混乱に満ちていた日本に生きる希望を与えようと当時の浄土宗の方々が開いた会だそうです。

 

2015-10-20 15.02.06魚供養之碑。 
千代田水産株式会社が建てた碑。「犠牲になった魚たちよ。ありがとう。」といったところでしょうか。

 

2015-10-20 15.08.40聖鋏観音。
「せいきょうかんのん」と読むのかな?ハサミに支えられて生きてきた国際美容協会会長が願主となってここに建てました。「ハサミは観音菩薩の御手そのものである」だそうです。

 

2015-10-20 14.59.29土木建築殉職者慰霊塔。 
「土木建築事業は平和の戦死です。作業中に運悪くなくなってしまった人たちをここに祀ります。」的な文章がありました。原文は「土木建築事業ハ一國文化ノ象徴産業ノ先駆ニシテ厥ノ能ク・・・。」となかなか読みずらいです。 真ん中下の梵字はキリークかな?多分阿弥陀如来を表しているのだと思います。

 

2015-10-20 15.01.39ブッシュ槙。 
アメリカの第41代ブッシュ大統領が来日した際に植えたそうです。本人が植えたわけではないだろうけど。パパのほうです。

 

2015-10-20 15.06.59グラント松。 
アメリカの第18代グラント大統領が来日したときに植えた松。本人が植えたわけではないだろうけど。軍人としては高評価ですが政治家としては最悪だったそうです。 増上寺境内の徳川将軍家墓所にも行きましたのでどうぞご覧ください。

おしまい!

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