数多の血吸う心霊スポット・小塚原刑場跡【東京の旅】

ここは荒川区南千住!

日光街道の小塚原刑場。東海道の鈴ヶ森刑場、甲州街道の大和田刑場。これら三箇所は江戸三大処刑場と呼ばれ怖れられていました。鈴ヶ森刑場跡については【斬って磔、燃やされる鈴ヶ森刑場 編】で紹介しています。そして今回は荒川区南千住駅近くにある小塚原刑場跡へ。

ブログ作成中に『何故、処刑場跡なんかに行くのだろうか?』とふと思いました。『歴史に興味がある。』『処刑という非日常的な事柄に興味がある。』『死について思うことがある。』『ブログのネタ作り。』『肝試し的な意味合い』『墓参り』『ただの観光』こんな感じの理由が浮かびましたが、恐らく前半の3つが主な理由でしょう。まぁ不謹慎かもしれませんが興味持ってしまうのだからしょうがない。

当記事は心霊スポットについての記事です。グロテスクな表現、お墓の写真が掲載されていますので嫌悪感を抱かれる方はブラウザバックお願いいたします。

ということで始めます!

 

小塚原刑場跡

延命寺小塚原刑場は『こづかっぱらけいじょう』もしくは『こづかはらじょう』と読みます。現在、刑場跡地には浄土宗の豊国山延命寺があります。延命寺はかつて小塚原回向院の一部でしたが鉄道敷設により分断され独立しました。

1651年(慶安4年)に創設。幅108m、奥行54m、約1800坪の仕置き場(処刑場)。当時は見せしめの意味で処刑のあと埋葬せずほぼ野ざらしの状態で遺体を放置していました。蛆が湧き、動物がバラバラに食い散らかす、そして夏場には恐ろしいほどの強烈な悪臭を発していたそうです。地獄にいるのでは?と錯覚してしまうほどの酷さだったとのこと。

見るに見かねた僧侶がそれらの無縁仏を埋葬し弔うため刑場の隣接地にお堂を建てました。これが小塚原回向院の始まりと言われています。当時、刑死者の供養は禁じられていたそうですが秘かに埋葬し供養したそうです。

 

首切り地蔵

首切り地蔵首切り地蔵として名を馳せていますが、正式には延命地蔵と言います。殺すのか?生かすのか?どっちなんだよって感じのネーミングですね。首切り地蔵は元処刑場だったという悪いイメージから付けられたものでしょう。

延命地蔵は1741年(寛保元年)に造られました。刑死者供養のために建立されたと言われています。小塚原刑場では鈴ヶ森刑場と同様に磔刑、火刑、獄門(斬首後晒し首)などの重罪者の処刑場として運営されていました。

 

小塚原回向院

小塚原回向院小塚原回向院、または豊国山回向院と呼ばれています。宗派は浄土宗です。延命寺説明と被りますが、1667年(寛文7年)に両国回向院の住職弟誉義観(ていよぎかん)が町奉行に願い出て常行堂を建立したのが始まりです。しっかりと許可を得ていたみたいですね。ここでは小塚原刑場で刑死した歴史上の人物のお墓を見学することができます。

 

相馬大作の墓

相馬大作の墓相馬大作は盛岡藩(岩手県)生まれ。本名を『下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)』といいます。

弘前藩主『津軽寧親』の暗殺計画を密告され逃亡、後に捕縛され小塚原刑場で獄門となりました。盛岡藩南部家に臣従していた弘前藩津軽家が南部家よりも勢力を伸ばしてきたことに憤り、侮辱を感じての犯行です。

 

鼠小僧と高橋お伝の墓

鼠小僧と高橋お伝の墓一番左が鼠小僧次郎吉の墓。

鼠小僧は江戸後期に大名屋敷を狙った大泥棒です。武家を侮辱したという見せしめで市中引き回し、獄門という殺人や放火罪に匹敵する罰を受けました。盗んだ金が殆ど見つからなかったことから、庶民に分け与えているのでは?という噂が広がり後々まで伝説が残りました。残念ながら現在では『博打と女につぎ込んだ』が定説になっているようです。

右から二番目が高橋お伝の墓。

高橋お伝が群馬県出身(私群馬出身)だということにビックリしました。普通の強盗殺人犯です。明治12年に市ヶ谷監獄で斬首刑になりました。この時小塚原刑場は無くなっています。
打ち首された最後の女囚として有名です。

握りこぶしの腕の墓は『腕の喜三郎』という人の墓です。

江戸時代の侠客。なんで腕の墓石なのか、こんなエピソードがあります。ある時喜三郎は街で喧嘩をしました。相手をボコボコにしたものの腕を斬られぶら下がっている状態。家に戻ってから子分に『腕がみっともないから切り落としてくれ!』と言ってノコギリで切断させたそうです。ヒェー。腕の喜三郎は処刑されていません。どうして小塚原回向院にお墓があるのかは不明です。

 

吉田松陰の墓

吉田松陰の墓吉田松陰は伝馬町牢屋敷で打ち首になり小塚原に埋葬されました。後に高杉晋作らが身体を取り戻し世田谷に改葬

 

頼三樹三郎の墓

頼三樹三郎の墓頼三樹三郎(らいみきさぶろう)の墓。詳細は→【吉田松陰が祀られる世田谷の松陰神社へ参拝 編】

 

橋本左内の墓

橋本左内の墓橋本左内については長くなってしまうので割愛!橋本左内に関する場所に訪れたら記事にします。

 

磯部浅一と妻 登美子の墓

磯部 浅一の墓1936年(昭和11年)に起きたクーデター事件、通称2.26事件の首謀者。御存じの通りクーデターは失敗に終わり指揮した人間は捕縛され銃殺刑に。尊敬していた吉田松陰の近くで眠りたいという希望から回向院に埋葬されました。

 

吉展地蔵尊

吉展地蔵尊吉展ちゃん事件で調べてみてください。この世は不条理です…。本当に切なくなる。

 

終わりに

刑場が心霊スポットとして扱われてしまうのは定なのかもしれません。しかし駅が近く人も多いので恐怖はあまり感じませんでした。

当ブログ内の心霊スポットランキングを作成しましたので興味がある方はご観覧下さい。なおこの記事は適宜更新いたします↓

旅のまとめ【心霊スポットランキングベスト10 編】 

おしまい! 

首切り地蔵

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA