金のしゃちほこ!名古屋城の歴史について【愛知の旅】

ここは名古屋市中区本丸!

前回の記事では名古屋城外部について書きました。

今回は歴史と城内。それでは参ります!

 

名古屋城の歴史

焼失前の名古屋城小天守この写真は戦災前の名古屋城小天守。
写真をカメラで撮ったものですが、今回の旅で撮影した中で一番のお気に入りです。

さて、名古屋城の歴史を城内の展示品と共にお送りいたします。
 
時は室町時代末期。
若かりし頃「尾張の大うつけ」を演じた第六天魔王が生誕される少し前のお話です。

尾張国の一部を治めていた那古野氏の拠点に駿河国守護の今川氏親が建てた「柳之丸」が名古屋城の起源といわれています。

なんでこの時代の尾張に今川氏が?という疑問が出てきたので調べてみたのですが、
なんかややこしい。
鎌倉時代まで遡ると駿河今川氏と那古野氏が繋がるんです。遠い親戚です。
故に那古野氏は今川那古野氏や尾張今川氏とも呼ばれます。

ちなみに今川氏親は今川義元のパパ。

 

黒漆塗十二間総覆輪筋兜黒漆塗十二間総覆輪筋兜。かっこいい!

柳之丸には今川氏親の六男氏豊が居住していました。
今川氏が尾張攻略のために築城されたましたが、1532年頃に尾張の虎と称された織田信秀の計略で奪われます。
計略は単純なもので氏豊の館で寝泊まり出来るくらい親密になり、隙をついて家臣を館に入れ追い出すといったもの。よく成功したものです。

略奪後、信秀は柳之丸を那古野城と改名しました。

織田信秀は魔王のパパです。
第六天魔王の存在があまりにも大きすぎるため陰に隠れていますが信秀もかなりできる武将だったそうです。

 

黒漆塗鉢巻形兜黒漆塗鉢巻形兜。バットマン!

1534年、魔王生誕。

ここは那古野城で誕生といいたいところですが、
どうやら最近の研究では勝幡城(しょばた)誕生が定説になっています。
那古野城生誕説もあるのですが。

5歳になった魔王改め織田信長(魔王飽きた)が傅役(もりやく)の平手政秀のもと那古野城城主に。

1555年に本拠地を清州城に移す。那古野城は廃城になりました。

 

紫糸威胴丸具足紫糸威胴丸具足。日本の鎧は美しいね!

本能寺の変で織田信長が謀殺され豊臣秀吉の時代に。
そして豊臣秀吉が亡くなると、1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が1603年に江戸幕府を開きます。

大阪城の豊臣秀頼との最後の戦いに備えて大阪城を囲むように築城、城の拡張を行います。
その中の一つにあったのが今の名古屋城です。

那古野城は廃城になってしばらく放置されていたので、
辺り一面は自然で溢れかえっていたそうです。

 

銘備州長船久光銘備州長船久光。名古屋城最後の城主「徳川義宜」所有の刀。

関ヶ原の戦いの後、家康の四男「松平忠吉」に尾張清州藩が与えられました。
しかし28歳の若さで亡くなっています。

死因は病死(原因ははっきりしていません)。
関ヶ原の戦いでの傷が原因ともいわれています。

同じ隊で戦った義父の井伊直政は関ヶ原の戦いで負傷し、
それが原因で亡くなったので「関ケ原古傷説」のほうが物語が作りやすいですね。
なので後世の創作かもしれません。

 

瓦釘名古屋城の屋根に使われていた瓦釘。

松平忠吉の死後に家康の九男「徳川義直」が尾張清州藩に。
政治的、地形的問題で清州城を廃城にし名古屋城を築城。
こうして徳川御三家の一つ尾張徳川家が誕生しました。

徳川義直は優秀で超頑固な真面目人間だったそうです。

 

刻紋刻紋。

名古屋城築城には多くの大名が関わっています。
天守石垣を担当した加藤清正を始め福島正則、黒田長政、池田輝政、細川忠興etc…。

対豊臣秀頼の天下普請(幕府が大名に命じた土木工事)ですが、
外様大名の競争心を煽る、忠誠心を確かめる、勢力拡大の阻止の意味もあったようです。

上の刻紋は石垣に自分たちが普請したという証明のためにつけられた印。

名古屋城には清正石や刻紋石があります。
しかし今回の旅では時間に余裕がなく、ゆっくりと探索できず見ることは叶いませんでした。

※清正石は加藤清正と関係ないようです。

 

名古屋城瓦軒丸瓦。1710年の改修で東南隅櫓に取り付けられた瓦。

その後の名古屋城は取り壊されそうなったり、大地震がおそったり、
金の鯱の鱗盗難事件が起きたりしましたがなんとか形は保っていました。

・・・。

しかしながらご存知の通り「先の大戦」によって殆どが焼失してしまいました。
とても残念です。ただただその一言に尽きます。

これで名古屋城の歴史についての長い文章は終わりです。
締めに写真と軽い説明を少し載せていきます。
それではお疲れ様でした~

 

焼損鯱焼損鯱。

もともと江戸城内にあった鯱を名古屋城に取り付けたもの。

 

鯱1660年に青銅で鋳造した鯱。

これ、生身で展示して大丈夫なのかな?

 

名古屋城の入口の金の鯱金の鯱。

名古屋城天守入口に展示してありました。

 

名古屋城外の鯱これは外ですが鯱つながりで。

鯱の前に3匹の犬が繋がれていました。

 

女乗物女乗物。所謂「駕籠」のこと。
写真の駕籠は最上級品で大名家など名家出の女性の婚礼道具として作られたもの。

男性は将軍だろうが飾りはなく質素な駕籠だったそうです。

 

名古屋城内江戸村

武具屋武具屋。

鎧や刀はいくらくらいしたのだろうか?

 

本屋本屋。

しっかりとした表紙がないから平積み。

 

休み処休み処。

三色団子ください!

 

自身番自身番。

今の交番かな。火の番も任されていたそうです。

 

御用部屋御用部屋。

お偉いさんが藩の政務を行う所。

 

本丸御殿対面所 本丸御殿対面所。

超お偉いさんしか入れない場所。

 

台所台所。

台所は藩主の部屋から離れていたので暖かい料理を食べることができなかっただって…。かわいそうね。

 

祝膳祝膳復元。

とあるめでたい日の献立。
この時間にこれはきついです。(ただいま深夜1時)

あー。おなか減った…。
さて次は→愛知の旅 【国宝 犬山城 編 】

焼失前の名古屋城小天守

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