美濃の蝮こと斎藤道三と稲葉山城について【岐阜の旅】

ここは岐阜市金華山天守閣!

旅の交通手段が基本的にバイク(原付)なので、この季節は本当にしんどいです。

東京から岐阜に向かう道中、道路脇の電光掲示板を見てビックリ「⁻2℃」の表示が…。普通にしてても極寒なのにそれに風が加わると恐ろしいことになります。ということで、どれくらいの体感温度になるのか調べてみました。

まず風速(=秒速)は時速30kmを秒速に。30÷3.6=「8.3333…m/s」
1月の平均湿度が「50%」付近。で「-2℃」
これを体感温度を測るミスナールの式(改)に当てはめると・・・。
なんと「-16.5℃」の数値が。これは手と足の感覚がなくなるわけだ!

※体感温度を測るサイトがあるので気になる方は探してみてください。 

では本題。前記事は→岐阜の旅 【岐阜城と金華山 編】
この記事は岐阜城の歴史と関わった人物(主に斎藤道三)についてです。

 

稲葉山の砦と二階堂氏

二階堂行藤二階堂行藤像。 
1200年位に軍事的目的で工藤行政がここに砦を建てたのが始まりといわれています。肖像画は行政の子孫「二階堂行藤」です。 
工藤行政は鎌倉時代の人物で源頼朝に仕えました。二階堂で有名だった鎌倉永福寺の近くに屋敷を構えたことから二階堂を名乗るようになりました。二階堂とは二階造りの仏堂のことです。 
工藤行政は鎌倉幕府で政所令、後に別当を務めました。鎌倉幕府に於いての政所は政務や財務を行う重要なポスト。令は次官、別当は長官。とても偉いということですね。
残念ながらこの頃のことはあまり史料が残っていないようで情報が少ないです。工藤行政の数代後である二階堂行藤が亡くなってからは廃城状態だったようです。

 

守護代の斎藤氏

斉藤妙椿斎藤妙椿像。 
1400年前半、美濃国(岐阜南部)は美濃守護の土岐氏が治めていました。現在でも岐阜県には土岐市や瑞浪市土岐町など土岐氏に由来する地名が残っています。廃城になっていた稲葉山城を修繕したのは守護代の斎藤利永といわれています。※守護代は守護を補佐する役職のこと。

斎藤利永が亡くなると、その弟の斎藤妙椿(肖像画)が後を継ぎます。
※妙椿は守護代に就いていない。

斉藤妙椿は1411年生まれで幼少期に出家し僧侶になります。1460年に兄が亡くなり、僧侶をやめて表舞台に出てきたわけですが
・応仁の乱で活躍
・土岐家よりも高い官位を授かる
・歌人でもある
・経済力もあった
といった感じで、所謂デキる人だったようです。

斉藤妙椿が1480年に亡くなると斎藤利永の息子である斎藤利藤が美濃国守護代に。その後は後継者問題で身内揉めが起き混乱状態に陥ります。そしてとうとうあの男が登場します。

 

美濃の蝮 斎藤道三

斉藤道三像斎藤道三像。 
うまく文章に纏められなかったので対話スタイルにしました。

始めに
斎藤道三の一代国盗りはあまりに有名ですが、現在の研究では親子二代国盗りが定説になっています。ですので斎藤道三の前半生は父親の庄五郎の後半生と入り混じっていてかなりややこしいです。下記の対話文は私の独断で決めつけた創作なのでそれを踏まえてご観覧下さい。

登場人物
・道三(美濃の蝮)
・庄五郎(道三の父親)
・長井長弘(庄五郎の上司)
・土岐頼芸(美濃国守護の家系)
・日運(庄五郎の法弟) 

時は室町時代後期・・・。

庄五郎「南無妙法蓮華経…。ナムナム」
日運「南無妙法蓮華経…。ナムナム」 

庄五郎と日運は京都で僧侶として修行していました。転機は突然訪れるものです。

日運「私、美濃国の寺で住職することになりました。またいつかお会いしましょう。」
庄五郎「随分急だな。俺も行く。ついでに僧侶やめる。」
日運「ええぇえぇぇぇ・・・。」 

理由は不明です。僧侶の生活に飽きたのでしょうか???無事に美濃国についた庄五郎は…。 

庄五郎「美濃に着いたがこれからどうしようか。おっ?!いい女はっけ~ん。」

その女性は油問屋の娘でしばらくして結婚。特にすることがなかった庄五郎は油売り始めました。大道芸的な油の売り方をして美濃国で一躍有名に。 

武士「おい。油をおくれ!」
庄五郎「あいよ!」
武士「どうも~。お前さん、その油の売り方凄いな!」
庄五郎「俺、器用だろ?油が売れて売れて。ガッポガッポ。」
武士「その能力を武芸に使えばもっと立派になれるだろうにな。じゃあな!」
庄五郎「・・・。武芸?面白そうだな。そうだ武士になろう!」 

思い立ったら即行動。ということで商人をやめて武士を目指します。もともと器用な庄五郎は熱心に修練を積んで武芸を習得します。  

庄五郎「武士になるには誰かに仕えねばならんな。おい、日運よ。」
日運「南無妙法蓮華経・・・。ナムナム」
庄五郎「おい!!日運!!!」
日運「あっ?!はい、どうされました?」
庄五郎「おまえさん、親戚にお偉いさんいたよな?紹介してくれ。」

日運「いますけど・・・。何故です?」
庄五郎「武士になりたいんだよ。」
日運「油売りはやめたんですか?」
庄五郎「ええい!五月蠅い。紹介しろ!」
日運「ふぇぇぇぇ。」 

ってな感じで親戚の小守護代の長井長弘を紹介してもらいます。 

長井長弘「日運の学友というのはそちか?」
庄五郎「はは~っ。某、松波庄五郎と申す!」
長井長弘「そうかそうか。なかなか出で立ち。励めよ!」
庄五郎「はは~っ。」 

庄五郎は武芸の技術と持ち前の器用さで長井長弘に認められ、断絶していた長井家臣「西村氏」の名を授かり西村勘九郎正利と名乗ります。※ここでは庄五郎で通します。 
長井長弘の下で一生懸命に働きました。すると…。 

土岐頼芸「長弘!いるか?」
長井長弘「おります!いかがなされました?」
土岐頼芸「うむ。おぬしの部下に何とか五郎とかいうものがいるそうだな。」
長井長弘「庄五郎ですか。庄五郎が何か?」
土岐頼芸「うむ。たいそう優秀な男と聞き入れてな。どれ一度おうてみとうと思うてな。」
長井長弘「承知仕りました。では近日中に寄越しましょう。」 

美濃TOP家系の耳に入るくらい庄五郎は相当デキる男だったらしいです。

土岐頼芸「おぬしが。庄五郎か?」
庄五郎「はは~っ。某、松波庄五郎と申す!」
土岐頼芸「武芸に秀で頭もいいとの評判だのぅ。」
庄五郎「滅相もございません!!!(フフフッ。ここまで来たぞ。ニヤリ)」 

長井長弘「ゾワッ」(・・・寒気が)
土岐頼芸「ゾワッ」(なんじゃ?鳥肌が) 

庄五郎「どうなさいました?」
土岐頼芸「・・・。いや。これからも美濃国のために宜しく頼む。」
庄五郎「はは~っ。」 

庄五郎はコツコツと出世していき土岐頼芸に重用されるようになります。

土岐頼芸には土岐頼武という兄がいて美濃守護後継者争いが起こります。土岐頼芸(小守護長井長弘、庄五郎)vs土岐頼武(守護代斎藤利良)の形勢。 

何度かの戦の末、1527年に土岐頼芸が勝利し美濃守護になります。長井長弘も斎藤氏に代わって美濃国の実権を握ります。この戦いで庄五郎は暗躍し勝利に貢献したといわれています。

土岐頼芸「守護になれた~!」
長井長弘「斎藤氏に勝って実権を握れた~!」
庄五郎「・・・。おめでとうございます。」

~しばらくして~

庄五郎「息子よ。どう思う?ゴホッ…ゴホッ」
道三「調子悪いのか親父?で何が?」
庄五郎「今後の我家についてだよ。」
道三「う~ん。ぶっちゃけ長弘様が邪魔だよね。」
庄五郎「随分とぶっちゃけるね(笑)でもかなりお世話になってるしな。」
道三「・・・。そうだね。」

早速、道三は頼芸のもとへ向かいます。

土岐頼芸「道三よ、庄五郎の具合はどうかぇ?」
道三「親父は元気ですよ。あれはまだまだ生きますね。ところで・・・。」
土岐頼芸「なんだい?」
道三「噂なんですけど、長弘殿に謀反の疑いが流れていますよ。」
土岐頼芸「何を言う。長弘に限ってそんな。でも・・・。」
道三「あくまで噂です。少し探ってみますか?」
土岐頼芸「う、うむ。バレぬようにな。」
道三「もちろんです。ニヤッ」

しばらく時が経ち。

道三「殿、こんにちは!」
土岐頼芸「おお道三よ。」
道三「この前の話ですが。長弘殿、どうやら殿の兄上と秘かに繋がっているようで。」
土岐頼芸「な・・なんと。それは誠か。」
道三「とあるルートで確認したのほぼ間違いないかと。」
土岐頼芸「ぬぅぅ。」
道三「どうされますか?取り敢えず様子を見ますか?」
土岐頼芸「いや。こういうことは早めに手を打たねば後々大事になる。道三よ。」
道三「では。」
土岐頼芸「やってくれるのか?!」
道三「一番近くにいる我々が適任かと。」
土岐頼芸「よろしく頼んだぞ。」 

道三は頼芸を丸め込み長井長弘を殺害することに。

道三「長弘殿!頼芸様から伝言が。」
長井長弘「道三、久しぶりだな!でなんだ?」
道三「御免!!!!!!!!!」
長井長弘「ぐあぁッッ・・・。なっ・・・。」
道三「奥さんもついでにグサーッ!」 

・・・。

土岐頼芸「よくやった道三よ。」
道三「ありがたき幸せ!」
庄五郎「(長弘様…。うぁ、超複雑・・・)ゴホッ…ゴホッ、アッ!!!血が」 

道三「長弘殿の息子もついでに死んじゃったから長井家無くなっちゃいますね。」
土岐頼芸「そうだ、おぬしらが長井の名を継いだらどうだ?」
道三「では私は長井規秀を名乗ります。」
庄五郎「…。某は長井豊後を。ゴホッ…ゴホッ。グフッ!!!」
土岐頼芸「うむ、これで反乱分子もいなくなって平和になるなぁ。庄五郎大丈夫かぁ?」

・・・。 

庄五郎「グフッ…。パタッ………。」
道三「あっ。親父が…。これからは私の時代。」 

1533年頃に長井長弘が殺害され同時期に五郎が病死しました。 まさか道三…。さすがにそれはないよね?

対話スタイルはここまで!

 

斎藤道三像この後、再び土岐家の内乱が勃発します。
守護・土岐頼芸vs土岐頼純(前守護・土岐頼武の弟)
越前の朝倉家と近江の六角家が頼純側に付き美濃全域を巻き込む大きな戦いになりました。 また長良川の氾濫が相まって土岐家の勢力はガタ落ちします。

権力無き守護代だった斎藤利良が亡くなると斎藤利茂が守護代になります。斎藤利良は上記の斎藤妙椿の系列(持是院家)。斎藤利茂は斎藤利永の流れ(美濃守護家)。複雑です。本当に複雑です・・・。

ここで道三は持是院家が断絶してしまうということで土岐頼芸の許可を得て斎藤新九郎利政を名乗ります。この頃に稲葉山城の大改修を行ったと伝わっています。(1539年頃)
守護代の地位を狙う気満々です!

美濃国盗り

道三は考えます。
「守護代か。いや待てよ…。この弱体し切った土岐家を見てみよ。」
「いっそのこと美濃国自体を乗っ取れないだろうか?」
「うむ…。土岐家でやっかいな奴といえば…。頼満様か…。(土岐頼芸の弟)」

1541年、なんと道三は頼満を毒殺します。論二人は険悪になり戦いが始まります。道三が押され気味な時期もありましたが、 翌年の1542年、道三は土岐頼芸の居城を襲い勝利。
土岐頼芸を尾張に追放し美濃国主になりました。

これが有名な「国盗り」です。 

勿論、土岐家は黙っていません。かつては守護争いで戦いあった土岐頼芸と土岐頼純が手を組み道三に挑みます。しかも尾張の織田信秀(信長父)と越前の朝倉氏を味方に付けて。名将揃いの織田、朝倉氏に城を落とされたり、どさくさに紛れて土岐頼芸が美濃守護に返り咲いたりと苦しい状況が続きますが、重要な戦いではしっかり勝利しました。

朝倉氏とは土岐頼芸が守護職を退任するという条件で和睦。
(土岐頼純が美濃守護になるがすぐに誰かに殺される。多分道三。)

織田氏とは加納口の戦いの道三の大勝利によって和睦。
(この時、娘の帰蝶を織田信長に嫁がせた。)
 
という感じで今度こそ美濃を平定しました。

 

斎藤道三の晩年

1554年に剃髪し仏門に下り道三と名乗り隠居。ここでおとなしくしていれば天寿を全うできただろうに…。

息子の斎藤義龍に家督を譲ったのですが次第に「無能」扱いし始め他の息子たちに愛情を注ぎます。仕舞には義龍を廃嫡(相続権を失わせる)させようとし、ついにキレた義龍は弟達を殺害し「道三討つべし!」と挙兵します。様々な所から恨みを買っていた道三には人が集まらず長良川の戦いにて戦死。義父を助けるために織田信長も出兵しましたが間に合いませんでした。享年62

 

終わりに

この記事で岐阜城編を終わりにしようと考えていましたが無理でした。次記事ではその後の岐阜城について書きます。さすがに信長のことをこんな感じで書いていくと切が無いので多分かなり端折ります。5000文字までいくと疲れます。

次の記事→岐阜の旅 【戦国時代と岐阜城 編】 

斉藤道三像

2 件のコメント

  • 一介の油売りから美濃一国を盗った道三からすれば、2代目も相当優秀じゃないと、無能ですよね。
    でも、実子の出来が悪いのは親の教育が悪いのかも。
    まだまだ続編がありそうなので楽しみにしています。

    • 上総さん

      コメントありがとうございます!

      息子の義龍の評価は分かれるところですが、
      長良川の戦いで義龍の見事な采配を見て道三は「あいつやりおる」と評価を覆したそうです。
      義龍は早世してしまったので、そこが残念です。

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