明治天皇と共に…。乃木希典殉死の處・旧乃木邸に訪問【東京の旅】

ここは港区赤坂!

旧乃木邸は以前東京にいた時数回訪れたことがあります。また再び東京に引っ越してきて旧乃木邸へと思ったら…。3.11の東日本大震災で被害にあっており工事中でした。最近ようやく工事が終わり開門されていたので訪問。間もなく東京から去ってしまうので行けてよかった。まず簡単に乃木神社や乃木坂の由来になった乃木希典の説明からです。

 

乃木希典 大将

乃木希典乃木希典は1849年(江戸時代)に長州藩(山口県)の支藩である長府藩の江戸藩邸で生まれました。

最終階級は大日本帝国陸軍大将。昭和天皇の教育者としても有名ですね。

明治天皇が崩御し大葬が行われた1912年(大正時代)9月13日の朝に妻の静子と共にここで殉死。(本人は妻まで追いかけてくるとは思っていなかったらしい)

謹厳実直なイメージの乃木希典ですが若い頃は豪遊していたりとやることやっていたんだなという感じです。あと情緒不安定な所も見受けられますね。
面白いので興味ある方は調べてみてください。

 

乃木邸 石碑乃木希典といったらなんといっても日露戦争の旅順攻囲戦が有名ですね。
この戦いによって評価が真っ二つに割れています。

司馬遼太郎なんかは「坂の上の雲」などでボロクソな扱いをしています。
戦争ベタ、無能な第3軍(乃木希典が指揮)といった感じ。
完全に児玉源太郎を目立たせるためだけの存在になっています。
児玉源太郎については→児玉神社

反対に乃木希典がいたからこそ旅順要塞を攻略できた、その後の奉天会戦も勝つことができたと言う人もいます。

私自身、日露戦争に興味を持ち始めた段階では前者の説を支持していましたが、今では後者の説の方が正しいのかな?っと思っています。
実際、文献を読み漁ったわけでもないですし、その頃のことなんて不明瞭すぎてわかんないですね。

さて、細かくやると切が無いのでここからはさらっと流します!

 

愛馬用井戸

愛馬用井戸 特に説明するまでもないですね。

 

厩 ここには愛馬の「壽(す)」号と「璞(あらたま)」号がいました。

壽号は正馬(セイバ?)で璞号が副馬(フクバ、ソエウマ)。
正馬という言葉があるのかどうかは知りませんが、まぁ主として乗っていた馬なんでしょう。

壽号は日露戦争(旅順攻囲戦)で戦ったロシアの将軍「ステッセル」からもらったお馬さんです。

 

水師営棗の樹の孫

水師営棗の樹の孫 上記のステッセルが降伏した際に乃木希典と会見した場所が水師営です。
少し前に激戦を繰り広げたとは思えない集合写真が残っています。有名ですね!
普通、降伏側に帯剣は許されないのですが、乃木大将はステッセルを武人として称え帯剣を赦しています。

上の写真は「水師営の会見」という歌の中に出てくる棗の孫。

 

乃木大将と辻占売少年像

乃木大将と辻占売少年像 辻占(つじうら)売りとは辻(十字路、人が行きかう場所)で占(おみくじみたいなもの)を売ること。

煎餅の中におみくじを入れた辻占煎餅というものが石川県金沢市にあるらしいです。
いつかお目にかかりたい。

で上の像は乃木大将が一家を支えている辻占売少年に感銘を受けて金弐円渡して励ましたという逸話から造られたものです。乃木大将に人となりを表した的なね。
ちなみに少年は恩を忘れることなく努力し金箔業界で実績をあげたそうです。

 

旧乃木邸

旧乃木邸

 

旧乃木邸 毎年、9月12日、13日に内部一般公開をしているそうです。
なんか工事終了後一般公開しますって何処かで見たような気がするのですが、
この日は開いていませんでした。日曜日だったからかな?

上でも書きましたが9月13日は乃木希典と妻、静子の命日です。

 

乃木家祖霊社

乃木家祖霊社 邸宅の裏にある社。

乃木家祖先と御令息の御霊を祀っています。

 

月桂樹

月桂樹 山口県の農学博士、豊永直利がイタリアから凱旋した際にもらい乃木大将自ら手植えした月桂樹。残念ながら豊永直利についての詳細はわかりませんでした。

 

乃木家菜園

乃木家菜園 やっぱり人間って土に還りたくなるのよね。

 

瘞血之處

瘞血之處 瘞血之處(えいけつのところ)とは・・・。 殉死したときの血の付いたものを埋める場所。
瘞がうずめる=埋めるだからそのままの意味ですね。漢字は難しいけれども。

さて次は乃木神社

~続く~

乃木希典

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