太田の守護神が祀られる新田金山城【群馬の旅】

ここは太田市金山町!

太田市は歴史が好きな方にとって恵まれている場所です。市内には多くの古墳があり、なんといっても鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞にまつわる史跡があります。他にも徳川家康に関係する世良田東照宮、寛政の三奇人の一人で吉田松陰などに影響を与えたといわれる尊皇思想家の高山彦九郎の記念館、太平洋戦争時に飛行機王と呼ばれ中島飛行機の創設者である中島知久平ゆかりの場所なんかもありますね。

さて今回は太田市の金山に築城された新田金山城についてです。ここは発掘調査から得た情報を忠実に再現しようと頑張っている素晴らしい城跡です。正直、現場へ行くまではあまり期待していなかったのですが来てビックリ!

私が今まで巡った城跡の中でずば抜けて完成度が高いです。ここは歴史好きな方は勿論、あまり興味がない方でも風景を見ながら散歩すれば十分楽しめる場所はずです。 是非、太田市にいらしたら藪塚温泉を拠点に歴史観光してみて下さい。

そして温泉近くのジャパンスネークセンター三日月村に行けばきっと最高の旅になることでしょう!(ジャパンスネークセンターはへび嫌いな方にとっては地獄です!)

それでは本題に入ります!

 

新田金山城の簡単歴史

新田金山城 石碑新田金山城は文明元年(1469年)に新田氏の一族である岩松家純によって築城されました。岩松氏は少々複雑な家柄でもともとは栃木県の足利氏の血縁だったのですが祖先が断絶されてしまったため新田氏を名乗るようになったそうです。まぁ新田氏、足利氏はかなり遠い親戚みたいなもので元を辿れば清和源氏(清和天皇)に行きつくんですけどね。

新田金山城はしばらくの間は岩松氏によって治められていましたが天文17年(1548年)ぐらいに重臣の横瀬(由良)成繁に奪われてしまいます。ちなみに岩松新田氏は大名家としては滅亡してしまいましたが血筋は未だ途絶えず続いています。これは凄いことですね!

新しく城主になった由良氏は武田氏、上杉氏、後北条氏といった戦国の強豪に囲まれ、時には攻められること(上杉謙信とか)もありましたが外交を駆使し生き残ります。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際は後北条側についていたものの罪は問われず秀吉に仕え茨城県の牛久に所領を安堵されます。そしてこれをきっかけに新田金山城は廃城になってしまいました。

現在、新田金山城は貴重な史跡として日本100名城そして関東七名城に選出されています。

それでは城跡の様子をご覧ください!

 

西矢倉台西堀切

西矢倉台西堀切
山の尾根を分断し敵兵の侵入防止また自軍の通路としても活用できる山城の基本的な防御施設の堀切です。

 

新田金山城の桟道

新田金山城 桟道
この桟橋は西を守る西城と本丸を結ぶ連絡通路でした。万が一西城が落とされたときはすぐに切り落とせるように簡単な造りになっていたと予想されています。

 

西矢倉台下堀切

西矢倉台下堀切二番目の堀切です。新田金山城の堀切は本丸に近づくにつれ広く、そして深くなっていきます。

 

馬場下通路

馬場下通路

 

馬場下通路
ここらへんから城っぽさが顕著になっていきます。一枚目の写真を見るとわかりますが石垣のおかげで先が見えなくなっていますね。攻め手は行く先の状況がわからないまま命懸けで突っ込むしかないわけです。二枚目の写真の危険の右側に堅掘があります。(写真撮り忘れた…。)

堅堀(たてぼり)は山の斜面に対して直角に掘ることで敵の横の動きを封じるための防御施設です。

 

物見台

物見台
新田金山城の周辺をよく見渡せることからここに物見矢倉がありました。上杉謙信はこの城に侵攻したとき物見矢倉から見えない位置に陣を張ったと伝わっています。

 

物見台からの風景

 

物見台からの風景
物見台からの風景です。一枚目が太田市方面で二枚目は前橋方面かな。赤城山の裾が美しいです。

 

馬場曲輪

馬場曲輪 東屋

 

馬場曲輪 排水溝
馬場曲輪には多くの建物があったようでしっかりとした排水溝(写真二枚目)が設けられています。現在、跡地の一つに四阿(休憩所)を設置してあります。(写真一枚目)

 

大堀切

大堀切
最後の堀切はここを攻め手に抜かれたらもうヤバいため、かなり広くそして深く掘ってあります。さらに堀切の中で自由に行動できないように防御施設を設けています。

 

月ノ池と日ノ池

月ノ池

 

日ノ池
上が月ノ池、下が日ノ池。

共に生活用水で使われていました。日ノ池に関しては発掘調査の結果平安時代の出土品が発見され、新田金山城が築城される前から神聖な場所として戦勝祈願や雨乞いの儀式にも使用されたとのことです。

 

大手虎口

大手虎口

 

大手虎口

 

大手虎口

 

大手虎口
ここが新田金山城のメインです!

大手虎口は防衛最大の要であり城の格を示す象徴的な場所。ここに足を踏み入れたときの驚きは凄まじいものでした。「ここまで再現するか?ぱないの!」って心の中で叫びました。わからないものは再現しない、けどわかるものは徹底的に再現してやるという気持ちがここをみるとよく伝わります!

 

本丸跡

本丸跡
本丸跡!何もない!

 

新田金山城の図

新田金山城 城図
今回は左の西矢倉台方面から本丸に向かって紹介していったということです。

 

新田神社

新田神社
新田金山城の本丸は約一万坪とかなり広く明治期に創立された新田神社もその一部になっています。
タイトルの【太田の守護神が祀られる新田金山城 編】は厳密にいうと間違っていますね。新田義貞を祀っているのは新田神社ですから。

祀られている新田義貞についてはこちらでどうぞ→新田義貞について

おしまい!

大手虎口

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