子育てパワースポット呑龍様に参拝【群馬の旅】

ここは太田市金山町!

地元民に呑龍様の名前で親しまれている大光院は上毛かるたで「太田金山子育て呑龍」と詠われている通り子育て祈願の参拝者が訪れる人気スポットになっています。どのような由緒があるのか気になってみたので調べてみると意外な偉人が建立に関わっていることにビックリしました。

呑龍様に参拝してきましたのでその様子と歴史についてみていきましょう。

 

呑龍様の歴史

呑龍様 大光院大光院は徳川家康が自分の先祖とした新田義重を追福するために建立しました。新田義重は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した河内源氏出身の武将です。群馬の歴史を語るには外せない新田義貞の先祖でもあります。

徳川家康が新田氏の末裔だったという証拠はなく疑わしい所ですが、群馬出身の私としては故郷が徳川氏と関係のある土地と自慢したいので詮索はやめておきます!こんな田舎に徳川家康と縁ある場所があると思わなかったです。

呑龍様 大光院
初代住職には東京増上寺(浄土宗)の観智国師・慈昌の弟子である呑龍上人が迎えられました。呑龍上人は戦国時代から江戸時代初期に活躍した僧で生まれは現在の埼玉県です。

幼い頃から地元の寺で修業し、のちに増上寺へ修学。八王子の大善寺の住職となり浄土宗檀林の基礎を造ったとされています。檀林とは仏教の学問所のこと。読み方は「だんりん」。

 

鐘太田金山の大光院にいらしたのが1613年で58歳のときでした。その当時は乱世が明けて間もなく田舎は秩序が整っておらず何処も荒れ放題でした。特に男女の不義が激しく、望まれぬ子を宿し殺したり、年端もいかない子供を山に捨てるなどといった行為が平然と行われていたそうです。

そんな様子を見て呑龍上人は酷く心を痛ませ親御さんたちに理由を聞いてみました。彼らは口を揃えて「貧困ゆえ、子は愛らしいが生活のため仕方がない。」と。

すると呑龍上人は彼らにこう告げます。「貴方たちにも道理はあるのだな。では今後そのような子供が生まれてしまったのならば私に相談しなさい。寺のためにと食べ物は徳川幕府から頂戴している田地、衣服は信者からの浄財、住む場所はココ。私の弟子として7歳まで面倒見よう。それくらい育てば自分の力でどうにか食べていくことができよう。」

 

呑龍様それからというものの堕胎や子捨ての悪習が無くなり、生活に行き詰まった夫婦は呑龍上人に子を預けるようになりました。寺で愛情を持って育てられた子供を見て夫婦たちは「何故、こんな愛らしい子たちを何も思わず殺せたのか…。」と後悔するとともに呑龍上人に仏を見たのでした。

 

呑龍様 大光院
以上が「子育て呑龍」の由来。これ故に安産、子育てに関するご利益があるのです。他にも呑龍上人には鶴を殺してしまった少年を匿う逸話などあるのですが、それは割愛。
子育て中で群馬近隣にお住いの皆さん!この話を思い浮かべつつ是非『呑龍様』こと大光院へ参拝してみたらいかがでしょう。

おしまい!

呑龍様 大光院

2 件のコメント

  • >今現在、子供を育てていませんが
    え”~。以前はされてたとか。ってことは置いておいて。

    吞龍さんて、そんな神社だったのですね。
    お酒の大好きな法主さんが龍をも呑み込んだみたいなのではないのですね。
    もう一度行ってみよかな~。

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