水軍で有名な来島村上氏が治めた豊後森藩の名残、旧久留島氏庭園を歩く【大分の旅】

旧久留島氏庭園は江戸時代に豊後国(大分県)の『速水、玖珠、日田』を領した森藩の藩庁があった場所です。

藩主は来島氏。戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上水軍の一族であります。1601年に入封し明治維新まで森藩を治めました。

いちち
童話作家で著名な久留島武彦はその末裔に当たります。

今回は旧久留島氏庭園の風景と来島・久留島氏の歴史について書きます。

それでは参りましょう!

 

旧久留島氏庭園へのアクセス

大分自動車道の玖珠ICを下り右折、国道387号に入ります。

そのまま道なりに進むと『三島公園』、『わらべの園』の看板がありますのでそれに従えば到着します。高速道路を下りてから10分かからないくらいで着くかと思います。

JR豊後森からバスが出ているようですが本数が余りに少ないので自家用車かレンタカーで行くことをおすすめします。

 

来島氏の歴史について

旧久留島氏庭園

水軍で有名な村上氏は瀬戸内海の要所である能島、因島、来島に一族を置き一帯を支配しました。

後に能島村上氏、因島村上氏、来島村上氏と呼ばれることになります。

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元を辿ると清和源氏に行き着くようですが、途中の家系図が混乱していて正確なことはわかっていません。

 

旧久留島氏庭園

来島村上氏は伊予国(愛媛県)の河野氏に仕え瀬戸内海の警備にあたりました。

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当主の村上通康は主家頭領の河野通直にとても気に入られ婿養子となり、後継者に指名されるほどでした。それは通直の息子や家臣に激しく反対され叶いませんでしたが、河野家中でかなりの発言力を持っていたことがわかります。

ところが、かつては有力な豪族であった河野氏も戦国時代になると家督争いや隣国からの圧力でボロボロな状態になってしまいます。

縁戚関係があった安芸国の毛利氏に助力してもらいながら何とか存続しているような具合でした。

村上通康は1567年に病死しています。跡継ぎは息子の通総です。

 

旧久留島氏庭園

1577年、織田信長が羽柴秀吉に中国征伐を指示します。

主家・河野氏の体たらくにうんざりしていた来島通総は叛旗を翻そうと虎視眈々と狙っていました。

1579年に河野氏から離反し、1582年に羽柴秀吉の調略を受けて織田方に与することになります。その際、河野氏、及び毛利氏・能島村上氏に来島を攻められ居城を失ってしまいます。通総は一先ず秀吉の下に寄りました。

信長、秀吉の調略は能島、因島、来島の村上三家に及んでいましたが、従ったのは来島氏だけでした。秀吉に可愛がられた来島通総の子孫は大名に、他二家は毛利家臣として続いていくことになります。

また、村上通康の娘と穂井田元清(毛利元就の四男)の間に生まれた毛利秀元も大名になっています。

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いちち
毛利秀元といえば宰相殿の空弁当が有名ですね。

 

旧久留島氏庭園

本能寺の変で織田信長が討たれ、羽柴秀吉が力を付けていきます。この辺は細かく説明しません!

来島通総は秀吉に従い四国征伐、九州征伐、小田原征伐に参戦したようです。

そして朝鮮出兵(文禄の役)での海戦で通総は戦死してしまいます。

 

旧久留島氏庭園

跡継ぎは来島康親です。彼も父と同様、秀吉に仕えました。

豊臣秀吉が亡くなり、1600年の関ヶ原の戦いでは秀吉や毛利氏と関係が強かった来島氏は西軍の味方に付きます。

ご存知の通り関ヶ原の戦いは徳川家康率いる東軍が勝利を治めています。

敗将となった康親は戦後に流浪の身なりますが、東軍の将・福島正則と縁があったため赦され、1601年に江戸幕府から豊後国森1万4000石を拝領されます。

来島康親は31歳の早さで亡くなり長男の通春が跡を継ぎます。

通春の代に来島の姓を久留島に変えました。

 

旧久留島氏庭園
いちち
ってな感じで久留島氏の森藩は明治まで続き、その後は華族に加えられます。

 

旧久留島氏庭園

来島村上氏の子孫である久留島武彦は明治から昭和に活躍した児童文学者です。

彼は森藩最後の藩主である久留島通靖の孫に当たります。

「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦は、明治・大正・昭和の三代にわたって、人が人として共に生きていく上で、必要な教えを楽しいお話にのせて子どもたちに語り聞かせた教育者です。また、日本にボーイスカウトを紹介し、日本ボーイスカウトの基盤作りに尽力、以下のような日本初となる数々の業績を残し、日本の近代児童文化の基盤を築き上げたパイオニアといえます。

久留島武彦記念館HPより

久留島武彦はデンマークに訪問したとき、アンデルセンの生家やお墓が余りに雑に扱われているのを見て心を痛めました。

『これはどうにかならないものか?』と行く先々でアンデルセンの復権を訴え、これにデンマークの人々が感激し日本のアンデルセンと称賛したため『日本のアンデルセン』と呼ばれるようになりました。

 

終わりに

旧久留島氏庭園

旧久留島氏庭園は歴史・観光スポットというよりは地元の子供たちが遊ぶ公園です。

私のようにカメラを首からぶら下げてウロウロ徘徊していると親御さんたちから白い目で見られるので、メンタルが弱い方は注意してください!

いちち
私は一切気にしないけどね!

おしまい!



4 件のコメント

  • >ちょっとマニアックで地味ですが、ある地域の歴史を見つめることは有意義なことだと~~
    歴史の荒波にもまれて、戦い、調略、家督争い、朝鮮の役、豊臣、徳川を渡り。
    そんな家系の祖から、明治まで続いた御家がたどり着いた先は、
    日本のアンデルセン。

    剣をペンに持ち替えて活躍した人が讃えれるなんて有意義な事だと思いますよ。

    • 初めまして!
      コメントありがとうございます。

      なんというか、私が言いたかったことをきれいに簡潔に纏めていただきましたね。
      とても勉強になりました!

      またお気軽にコメントいただければと思います。

  • 私は、ある本を読み、このページに行き着きました。それは佐伯泰英氏の「酔いどれ小籐次」という本です。この酔いどれ小籐次という人物は来島水軍の末裔、豊後森藩の久留島通嘉に仕える家来の物語で大変面白く、本当に来島水軍はあったのかなと思い調べたところ、本当にあったことを知りました。「日本のアンデルセン・久留島武彦氏」についても知ることができました。大変勉強になりました。

    • 吉田 眞知子 さま

      ご覧いただきありがとうございます。
      「酔いどれ小籐次」という時代小説を初めて知りました。
      テレビドラマにもなっているんですね!
      まずはドラマから見てみようかな。

      作者が久留島氏を選んだのかが凄く気になります。

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