豊臣秀吉の親戚が代々治めた日出城の歴史について【大分の旅】

大分県にある日出町

いちち
読み方、何だと思いますか?

恥ずかしながら私は最初『ひで』と読んでいました。

答えは『ひじ』です。読めませんよね?日出の由来は『日出ずる国』からなのかな?多分、日の出町とかと同じ意味合いなんだろうな。九州にはこんな感じの『何でそんな読み方するのさ?』って地名や名前が結構あって興味深いです。

さて、前置きはこれくらいにして本題に入ります。今回は江戸時代にあった日出藩の藩庁、日出城についての紹介です。

それでは参りましょう!

 

日出城へのアクセス

日出城国道10号線の暘谷駅入口の信号を曲がります。少し直進すると暘谷城跡、城下公園の看板があるのでそれに従えば到着します。駐車場は観光案内所のある二の丸館がよいと思います。やや難しい場所にあるのでgoogle mapを貼っておきます。

 

日出城の歴史について

日出城日出城(暘谷城)は1601年から1602年の間に木下延俊が築城しました。木下延俊は豊臣秀吉の正室おね(北政所)の甥です。1598年に秀吉が亡くなり、1600年に関ヶ原の戦いが起きると延俊は徳川家康に味方し東軍の勝利に貢献しました。

 

日出城木下延俊は日出藩の初代藩主になり明治の廃藩置県まで木下氏は日出を統治しました。廃城令により日出城は競売にかけられ移築、破却されてしまいます。鬼門櫓、裏門櫓などの一部の建物は現存し見学することが出来るそうです。

いちち
鬼門櫓、裏門櫓…。下調べしないで訪問したので知らなかった。不覚…。

 

日出城この鐘は三代藩主の木下俊長が命じて鋳造されたものです。外大手の土手に掛けられ毎日決まった時間に鐘が鳴らされていたといいます。現在は写真の後ろにある日出小学校の児童が朝8時に鐘を突き時間を知らせています。何だか美しい習慣ですね!

 

日出城日出城の石垣は細川忠興の家臣、穴生理右衛門(あのうりえもん)の指揮により構築されました。理右衛門は石垣構築の名人集団の穴太衆の出といわれ、日出城の石垣は穴太積みと呼ばれているそうです。

細川忠興は木下延俊の義兄。延俊は何かと細川忠興のお世話になっていたようです。

 

日出城日出城から眺める別府湾です。

写真右側が別府市内、正面やや左に見える小高い山は猿で有名な高崎山です。

 

終わりに

日出城日出城の全体図です。この城の見所は立派な石垣と城下町かな。

私は日出町の雰囲気が好きなので、今度大分県内に引っ越すことがあるならば日出町にするかもな。別府市や大分市が近いのも魅力的!

おしまい!



日出城

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。 コメント待ってるよー!