美しき踊り子が人柱として眠る…!?国宝、松江城について調べた【島根の旅】

今回、訪れたのは国宝5城の一つ松江城です。

ざっくり城の歴史を紹介してから『踊り子の人柱伝説』について述べます。

それでは参りましょう!まずはアクセスから。

 

松江城へのアクセス

松江城自動車で行くなら松江だんだん道路の西尾ICを降りて県道260号線を松江城方面へ直進すれば到着します。松江城ホームページを見ると駐車場は城近くの松江城大手前駐車場か城山西駐車場がおすすめのようです。

私は松江城大手前駐車場がもの凄く混んでいたので近くのタイムズ畑殿町駐車場に駐車しました。料金はそれほど変わらないので込んでいるならタイムズに駐車した方が早いと思います。

電車はJR山陰本線の松江駅から『ぐるっと松江レイクラインバス』で国宝松江城(大手前)を下車。約10分程度で到着します。

 

松江城の歴史

松江城松江城は江戸時代初期(1611年)に堀尾氏が築城。それ以前は尼子氏や毛利氏の支配下にあり、ここには末次城という城が建っていました。末次城は鎌倉時代に佐々木(末次)胤清が築城したといわれています。末次城の詳細はよくわかっていませんが戦国時代中期に毛利氏の侵攻を受けて落城したと思われます。

 

松江城築城者の堀尾氏は1600年の関ヶ原の戦いで活躍し出雲松江24万石を与えられ月山富田城に入城します。かつては難攻不落の天空城と呼ばれていた月山富田城ですが、大砲などを使うようになった近代戦に不利、城下町を大きくしたいという理由で松江城を現在の位置に築城。

松江城は別名・千鳥城とも呼ばれています。千鳥の由来は江戸時代初期に徳川家光が各大名に提出するよう求めた『正保城絵図』の松江城に千鳥破風(屋根)が描かれていたためです。現在の松江城には千鳥破風がありません。

 

松江城堀尾氏当主の堀尾忠氏は山内一豊に手柄を乗っ取られたという軍議『小山会議/評定』が有名ですね。徳川家康が打倒上杉氏のため軍を栃木県小山市まで進めたときに『石田三成が挙兵!』の報聞き開いた会議が小山会議/評定。『さて、どうしたものか?』と問うと山内一豊が『私の城を提供する!(家康さんに協力する!)』といいました。

一豊の心強いその一言で場の武将らが家康の味方になりましたという話なのですが、実は一豊と親交があった堀尾忠氏が前日(?)に『私は家康殿に城を渡して味方しようと思っている。』と彼に伝えたとされています。それを一豊はパクって手柄にした、なんてひどい話が残っています。

二人でしっかり話し合って一豊が発言したのかもしれません。そもそも小山会議についての一次資料は残っていないので嘘かもしれません!

 

松江城ところが築城した堀江氏は嗣子がいなく1633年に断絶し改易になってしまいます。その後、京極忠高が入城するが京極氏も嗣子がなく1637年に一時断絶。そして信濃国松本藩から松平直政から入封してきます。以後、明治維新まで続くことになります。

明治時代に入ると『全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(ぜんこくじょうかくそんぱいのしょぶんならびにへいえいちとうせんていかた)』通称『廃城令』が発布され天守を除く建造物は払い下げられ撤去されてしまいます。天守も売りに出ましたが保存を望む地元の元藩士や豪農によって買い取られ撤去を免れました。

以上が松江城の歴史です。

 

松江城の人柱伝説について

松江城小泉八雲の『Glimpses of Unfamiliar Japan(日本の面影)』に下記のようなことが書かれています。

松江城が築かれる際、神様への捧げものとして城壁の下に少女が生き埋めにされました。少女の名前はわからないが美しく踊りが好きだったとだけ伝わっています。それから松江で娘たちが踊ることを禁止する法律が発布されました。娘が踊ると城が震え大きく揺れるからという理由からです。

 

松江城小泉八雲は『松江城の踊り子人柱』の他に『源助柱』や『嫁ヶ島』などの興味深い話を『Glimpses of Unfamiliar Japan(日本の面影)』に書いています。彼は外国人なので松江の住民から代々受け継がれていた伝説をまとめて書に記したのでしょう。

小泉八雲は1850年(江戸時代初期)にレフカダ島で生まれたイギリス人です。本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンといいます。職業は新聞記者、随筆家。日本に帰化して一時期松江市に住みました。英語教師をしながら日本の文化について書いた人物です。

 

松江城またwikipediaにはこうあります。

天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、崩落部分を掘らせたところ槍の刺さった髑髏が出てきたので虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがあるというと虚無僧は「祈祷では無理だ。」というのである。どうすればいいのかたずねると、「私の息子を仕官させてくるのであれば、私が人柱になろう。」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができたが、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易となった、というものである。

wikipedia 松江城 人柱伝説より

いちち
で、本当に人柱があったのか?

こればっかりはわかりません。でも”火のない所に煙は立たぬ”といいますしね。

事実だったのかもしれませんし、その場所に近づいてはいけないという意味で誰かが伝説を創作し噂が広まっていったのかもしれません。

 

松江城

いちち
私は人柱伝説に懐疑的です。大昔の話だったらあり得るのかな?と思いますが、江戸時代あたりの人間がそんな不合理なことをするかな?

まぁ、現代の人間とは思考が異なっているでしょうから無きにしも非ずなのかな?

工事中の殉職者を人柱に例えて祀ったということなら理解できるのですが。

 

終わりに

松江城

いちち
歴史は何も史実だけじゃない。こういう伝説の域を出ない物語も歴史の一つです。

島根県は松江城だけでなく出雲大社や石見銀山と世界的に見て重要な名所があります。また時間があるとき島根に訪問したいと考えております。

国宝5城をまとめましたので時間がある方は見て行ってください!

日本の国宝5城を巡る歴史旅!ついに完遂。

おしまい!



松江城

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