江戸時代、15代に亘って臼杵を治めた稲葉氏と旧稲葉家別邸について【大分の旅】

稲葉家下屋敷関ヶ原の合戦以後、明治維新に至るまで臼杵の地は稲葉氏によって治められました。

今回訪問したのは『国登録有形文化財 旧稲葉家別邸』です。この屋敷は明治時代に発布された廃藩置県のあと東京へ移り住んだ旧臼杵藩主の稲葉氏が帰郷するために建てた別荘のようなもの。建築年は1902年(明治35年)です。

屋敷自体について私が語れることは皆無に等しいので旧稲葉家別邸の風景とともに稲葉氏の歴史について簡単に紹介します。

 

旧稲葉家別邸へのアクセス

稲葉家下屋敷

東九州自動車道の臼杵ICを下りて右折します。しばらく直進して中須賀橋東の信号を右折すると臼杵城の案内板が出てきます。駐車場は城の近くにある市営下屋敷前駐車場が便利です。

にっぽん旅行記 臼杵城より

 

 

稲葉氏について

稲葉家下屋敷稲葉氏は伊予国の河野氏の一族だといわれていますが、正確な出自はわかっていないようです。

一族で特に著名な人物は戦国時代に活躍した稲葉良通(一鉄)でしょう。稲葉一鉄は1515年に美濃国で生まれました。始め守護大名の土岐頼芸、その後斎藤道三、義龍、龍興の家臣となります。斉藤龍興を見限り織田信長の配下に。

この辺りの歴史については↓をご覧ください。

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本能寺の変で信長が横死すると豊臣秀吉に仕えます。1588年に亡くなりました。享年74。

いちち
私がイメージする稲葉一鉄は『戦上手な頑固じじい』です。でも違うみたい。どうやら文武両道、オールラウンダーな人物だったようです。

 

稲葉家下屋敷稲葉一鉄の次男、貞通が臼杵初代藩主です。

関ヶ原の戦いでは始め西軍に味方しましたが東軍に寝返っています。その後、美濃国郡上八幡から臼杵に転封。

 

稲葉家下屋敷江戸時代の稲葉氏は飢饉や災害などで二進も三進もいかない財政状態になったりもしましたが、明治時代の廃藩置県まで存続することが出来ました。最期の藩主は15代の稲葉久通です。久通は1893年(明治26年)で亡くなっていますので、この屋敷を建てたのは次代の稲葉順通だと思われます。

 

稲葉家下屋敷稲葉氏は著名な戦国武将の血が多く流れています。

まずは稲葉一鉄が著名な戦国武将の一人。

戦国武将ではないですが一鉄の孫・春日局も有名ですね。

息子の臼杵初代藩主・貞通の妻は斎藤道三の娘。その間に生まれたのが↓

2代目・典通の妻は丹羽長秀の娘。その間に生まれたのが↓

3代目・一通の妻は細川忠興の娘。(忠興の妻はガラシャなので明智光秀とも繋がっている)その間に生まれたのが↓

4代目・信通の妻は織田信良の娘。(織田信長の孫に当たる)

7代目・恒通の曾孫の勧修寺婧子が仁孝天皇の生母なので皇族にも稲葉氏の血が流れています。

いちち
由緒ある血筋ですね。一鉄じいじも誇りに思っていることでしょう。現在までその血が繋がっているのかはわかりません。

 

終わりに

稲葉家下屋敷以上が旧稲葉家別邸の風景と稲葉氏についてでした。

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国宝もあります。

是非、大分県にいらしたら寄って下さい。

おしまい!



稲葉家下屋敷

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