日本赤十字社の礎を築いた佐野常民の記念館を見学してきた!【佐賀の旅】

佐賀市の佐野常民記念館に行ってきました。

今回は佐野常民について簡単に紹介します。

 

佐野常民記念館の場所

世界遺産・三重津海軍所跡と同じ場所にあります。

佐賀駅方面から国道208号線を進み光法という信号を右折します。(三重津海軍所跡 3.1kmと書かれた看板がある)

柳の内の信号を左折。(佐野常民記念館の案内板が左手にある)

『佐野常民記念館 ⇒ 0.5km』の看板があるところで右折。あとは道なりに進めば到着します。

 

佐野常民と日本赤十字社

佐野常民記念館

佐野常民といえば日本赤十字社の礎を築いた人物で有名です。幕末から明治に活躍した佐賀出身の偉人を総称した『佐賀の七賢人』に選ばれています。

1877年(明治10年)、西南戦争での惨劇を知り心苦しく感じた佐野常民、大給恒、桜井忠興らは中立な立場から救護を行うことを目的とした団体・博愛社を設立しようとします。しかし政府は設立を認めてくれませんでした。納得がいかない彼らは有栖川宮熾仁親王に直接話を持っていきます。

熾仁親王は素晴しい考えだと博愛社の設立と救護隊の派遣を許可。こうして日本初の赤十字活動が行われることになりました。

ところが現場の兵隊には『中立な立場で救護に参りました!』といっても信用して警戒されもらえず警戒されたり攻撃されたりしてしまったそうです。

いちち
私だったら『こいつスパイだろ?』って思うな。

10年後の1887年(明治20年)に博愛社は日本赤十字社と改称し佐野常民は初代社長になりました。

 

佐野常民の経歴(かなりざっくり)

佐野常民記念館

佐野常民は1823年に佐賀郡早津江村で生まれました。9歳のときに藩医・佐野家に養子として入りました。常民は藩校の弘道館に入り優秀な成績を収めたそうです。それから江戸、京都、大阪と遊学。

帰省すると佐賀藩精煉方の主任に任命されます。

精煉方は洋書を翻訳して実験する理化学研究所のことです。蒸気機関や電信機などの研究がされていました。

1855年からは幕府の長崎海軍伝習所の一期生として蘭方医学や航海術を学んでいます。その後、佐賀に設立された三重津海軍所の監督を務め日本で最初の実用蒸気船『凌風丸』の制作に関わりました。

大蔵卿、元老院議長、農商務大臣などを歴任。上で紹介した赤十字の活動を使命として世に貢献しました。

1902年(明治35年)、80歳でこの世を去ります。

 

終わりに

佐野常民記念館

恥ずかしながら記念館に訪れるまで佐野常民を知りませんでした。

日本赤十字の創始者としてかなり有名な人物のようですが、私はそもそも赤十字がどういうものか知りませんでした。

いちち
すごく勉強になった!

おしまい!



佐野常民記念館

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