佐賀藩主鍋島氏の万部塔と龍造寺家兼ゆかりの六地蔵を見に行った【佐賀の旅】

万部島と六地蔵

佐賀市水ヶ江一丁目に万部塔と六地蔵という史跡があり、その場所は万部島と呼ばれています。

万部とは万部経のことで『追善や祈願などのために、万部の経典を読むこと』の意味があります。

名前の通り万部島は川(堀)に囲まれた島だったようです。万部読経が行われた島ということですね。

 

万部塔について

万部島と六地蔵

写真の石塔群が万部塔。

初代佐賀藩主の鍋島勝茂から最後の11代・鍋島直大までの歴代藩主が願主となり、藩の安寧や民衆の無病息災の祈願のため法華経一万部を読誦したそうです。その記念に建てられたのが万部塔です。

ここで万部読経を初めて執り行ったのはかつて鍋島氏の主君だった龍造寺氏当主・家兼でした。家兼ついては龍造寺隆信の記事で少し触れています。↓

肥前の熊こと龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓に行く!【佐賀の旅】

2018.04.04

 

六地蔵について

万部島と六地蔵

 

万部島と六地蔵

六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)において衆生を苦しみをから救済しようとするお地蔵さんです。これは日本独特の仏教文化だそうです。

この2基は1530年代に建立されたもの。龍造寺家兼ゆかりのものと伝えられています。

いちち
国や民のことをしっかりと見つめた領主だったのでしょう。脱線しますが、信長の野望というゲームで龍造寺家兼は結構強かった覚えがあります。

 

終わりに

江藤新平について

万部塔と六地蔵がある敷地に佐賀の役招魂碑があります。これは明治七年の佐賀の役で戦死した212名を祀る碑です。

江藤新平と生誕地と墓へ参拝。彼の人生と佐賀の乱について紹介しようと思う【佐賀の旅】

2018.04.15
↑のリンク先では佐賀の役ではなく佐賀の乱で紹介しています。

『役や戦争と表記するべき。』という意見があることは知っています。しかし一般的に知られている名称で統一したかったため佐賀の乱で通しています。

おしまい!



万部島と六地蔵

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