津和野城跡に登る!その起源は元寇に備えて築城された三本松城と呼ばれる山城だった【島根の旅】

津和野城

津和野城の築城者を吉見頼行といいます。

『元寇の襲来に備えよ!』

鎌倉幕府の命を受けた頼行は1282年に能登から津和野に入り1295年から築城を開始します。

 

津和野城

標高347.5m(地理院地図を参照)の霊亀山に築かれた大規模な山城は約30年の歳月をかけ一先ず完成しました。

吉見氏はその後300年間、城の補強や増築を行っています。

当時は津和野城ではなく一本松城、三本松城と呼ばれていたそうです。

 

津和野城

1554年に起きた三本松城の戦いでは陶隆房が率いる大内軍に包囲されますが、城主の吉見正頼はよく耐えました。

この戦いは人質を大内氏に送ることで和睦が成立し終戦しています。

 

津和野城

大内氏の実権を恣にしていた陶隆房は厳島の戦いで毛利元就に敗れ自害します。

陶隆房を失った大内氏は衰退し毛利氏に滅ぼされます。

三本松城主の吉見正頼は毛利氏に従い活躍したため多くの領地を与えられました。

 

津和野城

1600年の関ヶ原の戦いで主君の毛利輝元が西軍の総大将だったため吉見氏は西軍に属しています。

ご存知の通り、西軍は東軍率いる徳川家康に敗北しました。

毛利氏は領地を減らされ、吉見氏は津和野を去ることになりました。

 

津和野城

その後、宇喜多氏の親族である坂崎直盛が津和野に入ります。

宇喜多氏といえば宇喜多秀家が有名です。秀家は西軍の中心人物だったので八丈島に流罪されています。坂崎直盛は秀家の従兄弟に当たる人物が秀家と仲が悪かったらしく関ヶ原の戦いでは徳川家康の味方をしています。

坂崎直盛は津和野城の大改築を行います。

壮大な石垣を設け、三層天守を構える近世山城を造り上げました。

 

津和野城

しかし直盛は1615年の大坂夏の陣で救出された千姫を巡る諍いによって自害に追い込まれてしまいます。家臣に殺害されたという説もあります。

千姫は徳川秀忠とお江の間に生まれた娘で豊臣秀頼に嫁いでいました。

そして因幡国鹿野藩より亀井政矩が津和野に入ります。

 

津和野城

1617年から明治維新までの225年間、11代に亘って亀井氏が津和野を治めました。

 

津和野城

亀井氏は山の麓に藩邸を建て城下町を発展させました。

現在の津和野高校校庭とその南側が藩邸跡です。上の写真の嘉楽園と呼ばれる庭園跡に藩邸についての説明板があります。

 

津和野城

嘉楽園の敷地内にある白壁の建物は物見櫓です。

もともとは別の所にあったとのことです。

 

津和野城

嘉楽園から津和野川を渡った先にある馬場先櫓。

安政年間(1855年~1860年)に建築されたものだと考えられています。

物見櫓、馬場先櫓を津和野城の現存建築物と言っていいのか考えものですが、この二棟の櫓は江戸時代から残る大変貴重な建築物です。

 

津和野城跡の場所

津和野城

私は九州方面から自動車で向かいましたので小郡ICを下りて国道9号線をひたすら進みました。

津和野の町に下りる目印は大きな赤い鳥居です。鳥居をくぐれば間もなく到着します。

ナビを使うなら津和野城で検索するのではなく太鼓谷稲成神社で調べた方がいいかもれません。

 

終わりに

津和野城

山の麓からリフトが出ていますので登城難易度は低いです。

リフトの料金

・往復:中学生以上450円 小学生400円

・片道:中学生以上350円 小学生300円

いちち
私は行きは登山、帰りはリフトで下山しました。

おしまい!



津和野城

2 件のコメント

  • 津和野と云えば、船越さんあたりが訪れて、次々と殺人事件が発生しているというイメージです。W
    小さそうな町で、ホントにおきてたら、心霊スポットだらけかもですよね。

    松山城なんかもリフトだったですが、
    こちらは、それほどの観光地っぽくないのにリフトの需要が結構あるのかな~。
    街中散策も楽しそうかもと感じました。

    • 匿名さん

      コメントありがとうございます!

      津和野にそんなイメージが?!w
      松山城も近いうちに行こうかと思っています。
      リフトは何かしらの補助金がないと運営出来なそうですよね。
      津和野は山陰の小京都と呼ばれていますね。
      時間がなくてゆっくり街並みは見れませんでしたが、
      車で通った感じよさそうな雰囲気はありました。

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