福岡城へ!城の起源と歴代藩主の黒田氏についてザックリ紹介する【福岡の旅】

福岡城

福岡城は江戸時代前期に黒田長政が築城しました。

以後、明治維新に至るまで黒田氏が福岡城を居城とし、約43万石の領地を治めることになります。

明治期の廃城令で存城処分となりますが、城内の多くの建物は移転もしくは撤去されてしまいました。

現在、南二の丸・多聞櫓が国の重要文化財。下之橋御門、祈念櫓、旧母里太兵衛邸長屋門などが県指定有形文化財に指定されています。

それでは、福岡城及び黒田氏についてもう少し詳しく見ていくことにしましょう。

 

福岡城の場所

福岡城

公共交通機関が発展しているので地下鉄やバスを利用した方が動きやすいです。

自動車で行くなら福岡都市高速環状線の西公園で下りるといいでしょう。天神北から下りても行けますが、天神の市街地を通っていくので都市部の運転に慣れていない方は難易度が高いかもしれません。城内に有料駐車場があります。

 

福岡城の歴史

福岡城

福岡城は始め黑田長政の筑前を領するや名島城に據りて國政を司りしと雖も名島は偏僻にして長く大國を主宰すべきの地にあらず慶長六年地を那珂郡警固村福崎に卜して城を築く是れ即ち舞鶴城にして長政の曾祖父右近太夫高政備前の福岡と云ふ地に生れたるの故を以て取りて城名となせり今は陸軍歩兵二十四聯隊の營所となれり

明治35年4月発行 福岡県案内 福岡城址より

黒田長政が筑前国を治める際、名島城で政治をするつもりだったけれど、名島は都から離れていたため、長く大国を治めることが出来る場所ではなかった。

慶長6年、地を那珂郡警固村福崎を選んで城を築く。これがすなわち舞鶴城で、長政の曾祖父・黒田高政が福岡という地に生まれたのを理由として福岡城と名付けた。

今は陸軍歩兵二十四聯隊の営所になっている。

 

福岡城

名取の城は、天正十五年豊臣秀吉公より、此國を小早川隆景に給りし時、始て築かる。良將の經營せる城にて、要害よければ、長政公の父如水公は、舊に依つて是を居城とすべし。別に城を築かん事は、國の費え民の苦み幾許ならん。何ぞ必改め作らんやと仰せける。

筑前国続風土記 福岡城より

名取城は、天正15年に豊臣秀吉公より、この国を小早川隆景が給わったときに始めて築かれる。

優秀な将の経営した城で、要害であるから、長政公の父如水公は、旧に依ってこれを居城とするべき。

別に城を築くことは、国の出費、民の苦しみはどれ程になるだろう。どういうわけで改めて作る必要があるのか?と仰られた。

黒田官兵衛(如水)と長政父子のやり取りが【筑前国続風土記】に書かれています。

『名島城は町からちょっと遠いよ、父さん。』と長政は官兵衛を説得し現在の場所に城を築いたとあります。

いちち
バリバリの戦国時代を生き抜いてきた官兵衛と新しい時代を担う長政のやり取りが生々しいです。

いつの時代もこんな感じなのでしょう。

 

福岡城

黒田如水(官兵衛)、長政父子が福岡城に入城し、明治時代まで黒田氏が福岡藩を治めることになります。

【1代目】長政の跡を継いだ【2代目】忠之は如水や長政が先代が残した莫大な富を贅沢三昧の日々を送ることで散財し、都合のよい家臣ばかりを周りに侍らせ国政を取り仕切りました。これを見兼ねた重臣の栗山大善は幕府に『黒田家謀反の疑いあり』と諫言。この事件を黒田騒動といいます。

改易こそ免れましたが、幕府からの注意により横行跋扈な態度は控えるようになりました。

【3代目】光之は父の忠之が藩の財政をクッチャクチャにしたため倹約家となり立て直しに取り掛かります。長男ではなく三男の綱政を跡継ぎにしたことから家中がややこしいことに。

【4代目】綱政。光之に選ばれ跡を継ぎますが、光之の側近を排して自身の力を強めようと画策。これにより光之と対立しています。また佐賀藩と国境論争になり敗北したり、藩札発行するも失敗したりしています。ちょっと気の毒です。

【5代目】宣政は病弱。嗣子がいなかったため従兄弟を養子に入れて御家を存続させました。

 

福岡城

【6代目】継高を最後に黒田如水(官兵衛)、長政の男系子孫は途絶えてしまいます。

継高は積極的に藩政を執り行い一定の結果を出しました。しかし晩年に2人の男子を失い後継者問題に悩まされます。

幕府から紹介で10代将軍・家治の従兄弟である治之を養嗣子に迎えます。治之に継高の孫娘を嫁がせ黒田宗家の血を残そうとするも、残念ながら孫娘は早世してしまいました。

【7代目】治之【8代目】治高【9代目】斉隆、3者ともに若くして亡くなっています。

 

福岡城

【10代目】斉清は勉強熱心な人でした。

西洋医師・シーボルトと問答した時のことを下問雑戴に纏めさせています。動植物、国の風土、人種、あとオラウータンや河童の話などが書かれています。かなり興味深い書物なので時間があれば自分なりに訳して記事に取り上げたいと思っています。

【11代目】長溥、幕末の名君として知られています。父親は薩摩島津氏25代目・島津重豪。

詳細は長くなるので割愛します。

動乱の時代、内外にしっかり眼を向け政務に取り組み、日本の行く末を見守った偉人です。伊勢津藩・藤堂家から長知を養嗣子に入れ家督を継がせました。

最後の藩主は【12代目】長知です。

 

終わりに

福岡城

官兵衛や長政との血の繋がり(男系)は途絶えてしまいましたが、福岡藩主としての黒田氏の流れは現在まで続いているようです。

ネットで調べると情報が出てきますので気になる方は『黒田氏 子孫』などで検索して下さい。

おしまい!



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