鳥取城すぐ近く太閤ヶ平!鳥取城を攻めるため秀吉が敷いた本陣跡へ【鳥取の旅】

太閤ヶ平

太閤ヶ平(たいこうがなる)は戦国時代に織田信長の命を受けた羽柴秀吉が鳥取城を攻略するため陣を敷いた場所です。

上の写真は太閤ヶ平から鳥取城を撮影したもの。

土塁や空堀で囲まれた本陣跡が現在まで残り【鳥取城跡附太閤ヶ平】として国の史跡に指定されています。

鳥取城攻めについては↓をご覧ください。

鳥取城

鳥取の飢え殺しとは?鳥取城が心霊スポットと噂される理由について【鳥取の旅】

2018-12-26

 

太閤ヶ平へのアクセス

太閤ヶ平

鳥取東照宮(樗谿神社)に登山口があります。また鳥取城山上ノ丸からも行けます。

いずれにせよ、かなりの距離を歩きます。

いちち
私は『鳥取城登山口(9:30)→鳥取城山上ノ丸(10:00)→太閤ヶ平(10:35)→鳥取東照宮(11:20)』のルートで行きました。時間は凡そです。

 

太閤ヶ平

現地案内板より引用

こんな感じの陣だったようです。

 

太閤ヶ平

土塁跡がはっきりと確認できます。

 

太閤ヶ平

土塁ですね。奥の方が空堀かな?

 

太閤ヶ平

あまりにも立派な陣なので秀吉が信長を招き入れるために敷いたという説があるそうです。

 

太閤ヶ平

太閤ヶ平の碑がありました。

『天正九年秀吉鳥取城攻畧ノ本陣址 太閤ヶ平』と刻まれています。

 

終わりに

太閤ヶ平

現地案内板より引用

鳥取城が完全に包囲されています。これは西から来る可能性のある毛利軍を迎え撃つ陣形でもあります。

籠城側は山から無数に立ち上る狼煙を見て戦々恐々と震え上がったことでしょう。援軍を期待し暫く抵抗しましたが、遂に兵糧が尽き果て餓死者が続出しています。

鳥取城主・吉川経家は自らの命と引き換えに城兵を救うことを約束させ降伏、自刃。こうして鳥取城の包囲は解かれることになります。

おしまい!



コメントする(承認制)

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA