犬山城の歴史について。ちょっと前まで個人所有の国宝だった!?【愛知の旅】

名古屋城を北上し今回一番の目的地『国宝犬山城』へ。道中、小牧長久手の戦いに関係する地に寄りたかったのですが犬山城の閉館時間が迫っていたのであきらめました。たまには時間に追われない旅をしたいものです。

 

国宝の犬山城

犬山城の石碑国宝に指定されている城郭は5城あります。 

・島根県の松江城
・兵庫県の姫路城
・滋賀県の彦根城
・長野県の松本城
・愛知県の犬山城

国宝(建築物)は重要文化財の中で極めて貴重で日本文化史の特に深い建物のことを言います。あと二つでコンプリートです。彦根城は2~3回訪れましたが、そのころ旅ブログをやっていなかったので写真は全く撮りませんでした。行く機会がなさそうな島根県の松江城が難関だな。

2017年1月に国宝5城completeしました!

ではまず犬山城郭内から探索。

 

 

 

犬山城について

犬山城国宝現存天守5城の中で私は犬山城が一番好きです。

いちち
犬山城は素朴で古めかしく趣があると感じました。他の天守も素晴らしいのですが、何となく現代的なニュアンスがあるような気がするんです。

 

 

犬山城外観望楼下の弓型の屋根これを向唐破風(むこうからはふ)といいます。これは日本特有の屋根だそうです。日本の建築様式を勉強したら旅での楽しみが増えるでしょうね。

 

犬山城また機会があれば行きたいお城です。

それでは犬山城の歴史を見ていきましょう。

 

 

犬山城の歴史

鬼瓦築城当時に使われていた大変貴重な鬼瓦です。上述しましたが犬山城は織田信康が1537年に築城しました。1547年に信長の父である織田信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際に織田信康は討ち死にしてしまいます。

そして信康の息子、織田信清が入城。織田信秀が亡くなり信長の時代になって最初はそのまま従っていましたが次第に仲が険悪になり対立。信清は敗北し甲斐へ逃亡。その後、信長家臣の池田恒興などが城主に。

 

鯱瓦鯱瓦。織田信長が亡くなると次男の織田信雄(のぶかつ)の配下が城主に。1854年にかつて城主だった池田恒興(秀吉側)が犬山城に奇襲をかけ奪い取ります。これが羽柴(豊臣)秀吉vs徳川家康、織田信雄の小牧・長久手の戦いの緒戦になりました。

小牧・長久手の戦いは講和で解決します。(かなり興味深い戦なので次に愛知県を訪れた時は必ず関連地に訪問します。)ちなみに犬山城を見事奪取した池田恒興はこの戦いで討ち死にします。そして犬山城は織田信雄に返還されます。

 

犬山城内部とあることがきっかけで織田信雄が改易されます。その後の城主はめまぐるしく変わります。

 

付櫓1595年に豊臣秀吉の家臣である石川貞清が城主に。五年後の関ヶ原の戦いで西軍を味方した石川貞清は没落。(死んでない) 天下分け目の合戦の後、松平忠吉(家康四男)に尾張清州藩が拝領されます。御附家老に小笠原吉次が選ばれ、犬山領を与えられ城主になりました。

 

石落としの間松平忠吉が若くして亡くなると小笠原吉次は江戸へ。次、空いた犬山城に入城したのは平岩親吉。平岩親吉は徳川家康と同世代で今川人質時代からの仲です。信頼厚く家康の長男、松平信康の傅役(養育係)を任されています。これによって有名な事件に巻き込まれるのですが、それはまたいつか。

犬山城には徳川御三家『尾張徳川家』の始祖徳川義直の御附家老として入城。1611年に名古屋城※で亡くなるまで務めました。 ※徳川義直が幼かったため平岩親吉は名古屋城に入り政務を執り行い犬山城は甥の平岩吉範が取り仕切っていました。

 

望楼からの木曽川望楼からの木曽川。

平岩吉範が1617年まで統治。その後は徳川義直の御附家老に指名された成瀬正成が入城しました。成瀬家の犬山城統治は徳川幕府が終わり廃藩置県によって犬山藩が亡くなるまで続きます。その後は国所有になりますが明治の濃尾大地震によって城の一部が倒壊すると、修理のため譲与されまた成瀬家所有となります。

 

終わりに

なんと!なんと!!2004年まで犬山城は成瀬家の所有物だったそうです。国宝に指定されたのが1952年なので驚きです! 全国で唯一『個人所有の国宝』だった時期がありました。なんかちょっとだけうらやましい…。

国宝5城をまとめましたので時間がある方は見て行ってください!

日本の国宝5城を巡る歴史旅!ついに完遂。

おしまい!



犬山城

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。 コメント待ってるよー!