再現された石垣が凄まじい!新田金山城の歴史を振り返ろうと思う【群馬の旅】

群馬県太田市の金山にある新田金山城へ行ってきました。

いちち
この城の凄さとは何か?

それは再現された石垣です。

再現だと思って侮るなかれ!

では新田金山城の風景と歴史を見ていきましょう。

 

新田金山城の歴史

新田金山城

新田金山城は文明元年(1469年)に新田氏の一族である岩松家純によって築城されました。

岩松氏は少々複雑な家柄でもともとは足利氏の血縁だったのですが、先祖の岩松時兼が父親に勘当されたため新田氏を名乗るようになりました。

新田氏、足利氏はかなり遠い親戚です。元を辿れば清和源氏(清和天皇)に行き着きます。

 

新田金山城

新田金山城はしばらくの間は岩松氏によって治められていました。

しかし天文17年(1548年)ぐらいに重臣の横瀬(由良)成繁に奪われ滅亡してしまいます。

ちなみに岩松氏は大名家としては滅亡してしまいましたが血筋は未だ途絶えず続いています。

 

新田金山城

 

新しく城主になった由良氏は武田氏、上杉氏、後北条氏といった戦国の強豪に囲まれ、時には攻められることもありましたが外交を駆使し生き残ります。

1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、由良氏は止む終えない理由で後北条氏の味方をしました。小田原城に籠城していたものの罪は問われず茨城県の牛久に所領を安堵されています。

罪に問われなかった理由は赤井輝子(妙印尼)の功績があったからです。彼女は70代後半という高齢にも拘わらず孫の由良貞繁を擁立し豊臣方の前田利家に内通し松井田城攻めなどで活躍しました。それが認められて所領を安堵されたのです。

いちち
かかあ天下の群馬県の象徴的存在ですね!
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由良氏が牛久に移封したのち新田金山城は廃城になりました。

現在、新田金山城は貴重な史跡として日本100名城そして関東七名城に選出されています。

 

新田金山城の風景

新田金山城

歴史については以上です。

お次は新田金山城の風景をご覧ください!

 

西矢倉台西堀切

西矢倉台西堀切

山の尾根を分断し敵兵の侵入防止また自軍の通路としても活用できる山城の基本的な防御施設の堀切です。

 

桟道

新田金山城 桟道

この桟橋は西を守る西城と本丸を結ぶ連絡通路でした。

万が一西城が落とされたときはすぐに切り落とせるように簡単な造りになっていたと予想されています。

いちち
さすがに通れません。

 

西矢倉台下堀切

西矢倉台下堀切

二番目の堀切です。

新田金山城の堀切は本丸に近づくにつれ広く、そして深くなっていきます。

 

馬場下通路

馬場下通路

 

馬場下通路

ここらへんから城っぽさが顕著になっていきます。

一枚目の写真を見るとわかりますが石垣のおかげで先が見えなくなっていますね。

攻め手は行く先の状況がわからないまま命懸けで突っ込むしかないわけです。二枚目の写真の危険の右側に堅掘があります。(写真撮り忘れた…。)

堅堀(たてぼり)は山の斜面に対して直角に掘ることで敵の横の動きを封じるための防御施設です。

 

物見台

物見台

新田金山城の周辺をよく見渡せることからここに物見矢倉がありました。

上杉謙信はこの城に侵攻したとき物見矢倉から見えない位置に陣を張ったと伝わっています。

 

物見台からの風景

 

物見台からの風景

物見台からの景色。

一枚目が太田市方面で二枚目は前橋方面かな。赤城山の裾が美しいです。

 

馬場曲輪

馬場曲輪 東屋

 

馬場曲輪 排水溝

馬場曲輪には多くの建物があったようでしっかりとした排水溝が設けられています。

現在、跡地の一つに四阿が設置されています。

 

大堀切

大堀切

最後の堀切はここを攻め手に抜かれたらもう落城必須なため広くそして深く掘ってあります。

さらに堀切の中で自由に行動できないように防御施設を設けています。

 

月ノ池と日ノ池

月ノ池

 

日ノ池

上が月ノ池、下が日ノ池。

共に生活用水で使われていました。

日ノ池に関しては発掘調査の結果平安時代の出土品が発見されました。ここは新田金山城が築城される以前から神聖な場所として戦勝祈願や雨乞いの儀式に使われていたのではないかと言われています。

 

新田金山城のメインディッシュ

大手虎口

 

大手虎口

 

大手虎口

 

大手虎口

ここが新田金山城のメイン!大手虎口です。

大手虎口は防衛最大の要であり城の格を示す象徴的な場所です。

いちち
ここまで再現するか?頭おかしいんじゃないか?(いい意味で)

わからないものは再現しない、けどわかるものは徹底的に再現してやるという気持ちがひしひしと感じられます。

 

本丸跡

本丸跡

本丸跡。

何もない!

 

新田神社

新田神社

新田金山城の本丸は約一万坪とかなり広く明治期に創立された新田神社もその一部になっています。

御祭神は群馬の英雄・新田義貞公です。

下記の記事で彼について書きましたのでお時間のある方はどーぞ!

新田義貞像

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終わりに

新田義貞と新田金山城に関係性はないと言われています。

ここに新田神社を建立した理由なんでしょうか?太田市一面を見渡せるところに義貞公をお祀りすることで守護していただこうという考えだったのかもしれません。

太田市民、否群馬県民にとって新田義貞は大切なご先祖様なのです。例え足利尊氏に追い詰められて犬死しようが我々は彼を称えるのです!

いちち
『歴史に名高い新田義貞』ですからね。

おしまい!



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