沼田城の歴史と真田信之について【群馬の旅】

現在の沼田城跡はミニ動物園、市民憩いの公園となっており過去の遺構は殆ど残っていません。この城は戦国時代に活躍した真田幸村(信繁)の兄、真田信之が城主を務めたことで有名です。

目立つ遺構こそありませんが『ここを拠点に自家の存続をかけて戦った男がいたんだな。』と想像を巡らせて散策するだけで十分楽しめるかと思います。

 

沼田城跡へのアクセス

電車を利用するならJR沼田駅下車、徒歩15分から20分で着きます。自動車なら関越自動車道沼田インターチェンジを下りて右折し道なりに進みます。材木町の信号も直進すると沼田公園の看板が出てきますのでそれに従えば着きます。

住所は群馬県沼田市西倉内町594です。

 

沼田城について

沼田城沼田城は1532年に沼田顕泰(あきやす)が築城したといわれています。沼田氏は後北条氏の傘下に入りますが長尾氏(上杉謙信)に攻め落とされてしまいます。上杉謙信が亡くなり上杉お家騒動『御館の乱』が起きるとどさくさに紛れて後北条氏が城を奪い返します。

そして1580年、甲斐武田氏の真田昌幸が調略を仕掛け沼田城を攻略。同年、沼田顕泰の息子・沼田景義が沼田城奪還を試みますが真田昌幸の策に嵌り謀殺されてしまいます。その後織田信長が武田氏を滅ぼすと織田重臣の滝川一益が入城しますが、すぐに本能寺の変が起き信長死亡してしまったため大黒柱を失った滝川一益は後北条家に追われ敗走します。

織田氏の支配が終わり真田昌幸が再び沼田を支配します。このとき真田氏は始め後北条氏、紆余曲折あって上杉氏の傘下に。しかし豊臣秀吉『沼田城は後北条氏の城だ!』と決めたため後北条氏の城になります。

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐(北条征伐)で後北条氏が滅亡すると再び、真田氏が入城し昌幸の長男、信之が統治します。

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康に従った真田信之は家の存続を成功させます。ちなみに親の昌幸と弟の幸村(信繁)は高野山へ追放。江戸時代になると真田信之の孫の信利がひどい暴君だったため幕府に咎められ沼田真田氏は改易、そして沼田城も廃城となります。沼田藩に関しては本多、黒田、土岐が繋ぎ明治時代の廃藩置県まで続きます。

 

現在の沼田城跡

二の丸跡(野球場)ここが二の丸跡です。現在は野球場になっています。

 

本丸跡(お花畑)本丸跡地。当時の城の様子は跡形もなくお花畑になっています。

 

ミニ動物園本丸跡にはミニ動物園もあります。孔雀、兎、鳥、熊、猿がいます。

 

利根英霊殿昭和9年に建てられた利根英霊殿。これも本丸跡にあります。日清戦争や日露戦争の戦没者を祀っているそうです。

 

天狗堂外観

 

沼田城の天狗面

天狗堂と内部の天狗大仮面。この天狗面は迦葉山の大天狗の分身として安置されています。

 

終わりに

2016年の大河ドラマで真田幸村(信繁)を放映したので一時期沼田城はにぎわったとか。遺構が少ないため注目されませんが、戦国時代の歴史が好きな人にとっては堪らないスポットです。この一帯には真田氏ゆかりの城が多くあるので一度探索してみてはいかがでしょうか?

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おしまい!



沼田城

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