信州真田氏にゆかりある沼田城の歴史について【群馬の旅】

現在の沼田城跡はミニ動物園、市民憩いの公園となっており過去の遺構は殆ど残っていません。

この城は戦国時代に活躍した真田幸村(信繁)の兄、真田信之が城主を務めたことで有名です。

目立つ遺構こそありませんが

いちち
ここを拠点に自家の存続をかけて戦った男がいたんだな。
と想像を巡らせて散策するだけで十分楽しめるかと思います。

 

沼田城跡の場所

電車を利用するならJR沼田駅下車、徒歩15分から20分で着きます。

自動車なら関越自動車道沼田インターチェンジを下りて右折し道なりに進みます。

材木町の信号も直進すると沼田公園の看板が出てきますのでそれに従えば着きます。

 

沼田城について

沼田城

沼田城は1532年に沼田顕泰(あきやす)が築城したと云われています。

沼田氏は後北条氏の傘下に入りますが、上杉謙信に攻め落とされてしまいます。

上杉謙信が亡くなり上杉お家騒動『御館の乱』が起きるとどさくさに紛れて後北条氏が城を奪取。

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沼田城

1580年、甲斐武田氏の真田昌幸が調略を仕掛け沼田城を攻略したため、沼田顕泰の息子・沼田景義が沼田城奪還を試みます。

しかし真田昌幸の策に嵌り謀殺されてしまいました。

沼田城

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その後、織田信長が武田氏を滅ぼすと織田重臣の滝川一益が入城。本能寺の変で信長が横死してしまったため滝川一益は後北条家に追われ敗走します。

 

沼田城

織田氏の支配が終わり真田昌幸が再び沼田を支配します。

このとき真田氏は後北条氏に従うも紆余曲折あって上杉氏の傘下に。しかし豊臣秀吉『沼田城は後北条氏の城だ!』と命じたため後北条氏の城になります。

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐(北条征伐)で後北条氏が滅亡すると再び、真田氏が入城し昌幸の長男、信之が統治します。

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康に従った真田信之は真田氏の存続に成功、家康に反抗した父親の昌幸と弟の幸村(信繁)は高野山へ追放されます。

 

沼田城

江戸時代に入り真田信之の孫・信利が民衆に苛政を敷いたため、幕府の逆鱗に触れ沼田真田氏は改易になります。

そして沼田城は廃城になりました。沼田藩は本多氏、黒田氏と移り変わり最終的に土岐氏が明治時代の廃藩置県まで統治しています。

 

終わりに

沼田城

2016年の大河ドラマで真田幸村(信繁)を放映したので一時期沼田城はにぎわったとか。

遺構が少ないため注目されませんが、戦国時代の歴史が好きな人にとっては堪らないスポットです。

この一帯には真田氏ゆかりの城が多くあるので一度探索してみてはいかがでしょうか?

おしまい!



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