府内城跡から350mに亘って延びる遊歩公園を散歩してきた【大分の旅】

戦後復興の一環として昭和26年に整備された遊歩公園。この公園には彫刻や大分県の歴史に関する銅像が展示されています。府内城跡へ訪れとき寄ってみましたのでどんな感じなのか紹介します。順番は府内城跡側からです。それでは参りましょう!

 

大分・遊歩公園へのアクセス

国道10号線を中春日で曲がり、少し進むと左手に見えてきます。私は近くの有料駐車場に停めましたが、他にも停めれる場所があるかもしれません。電車なら大分駅の府内中央口から出て中央通りを進みます。昭和通りの交差点を右折したら間もなく到着です。

にっぽん旅行記 府内城の記事より

 

フランシスコ・ザビエルの像

フランシスコ・ザビエル1549年に初めて日本にキリスト教の布教をした人物です。大分に来たのは1551年の9月。豊後国大名の大友宗麟に招かれて布教に勤しみました。これにより西洋文化が目覚ましく開花しました。

まぁ、表向きは熱心にキリスト教(イエズス会)を広めた宣教師なんですが、きっと日本侵略狙ってたよね…。後々起こるキリシタン迫害もただただ悲劇として扱われていますが、日本のお上が理由なしに迫害を行うなんて考えにくいので何かしらの脅威を感じ取ったのでしょう。

戦国時代から江戸時代の日本とキリスト教の歴史を調べてみると教科書で教えてくれない情報がたくさん出てくるので面白いです。そこまで詳しく調べていないので、どれが真実なのか私は知りませんが。
※ザビエル像は厳密にいうと遊歩公園の像ではありません。

 

伊東ドン・マンショ像

ドンマンショイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案したローマへの派遣団・天正遣欧少年使節に選ばれた一人。天正遣欧少年使節は1582年2月に長崎から出発し1584年8月にポルトガルの首都リスボンへ到着しました。

1590年7月に帰国。ところがキリスト教に脅威を感じた豊臣秀吉がバテレン追放令を発布していたため思うように行動できず長崎でこっそり神父をしながら余生を過ごしました。マンショらは活版印刷機、西洋楽器や海図などを日本に持ち帰ったといわれています。

 

みどりのかげ

みどりのかげ遊歩公園が開園されたときに展示された大分県出身の朝倉文夫の作品。当初は白いセメントで出来ていましたが劣化が激しく同様の形でブロンズ像が作られました。

朝倉文夫は明治16年から昭和39年に生きた彫刻家。詩人として有名な高村光太郎のライバルと称され日本彫刻界の重鎮として活躍しました。猫が大好きです。

 

坊ちゃん

坊ちゃん明治17年から昭和62年を生きた北村西望の出世作。

代表作品は長崎の平和祈念像。おどけた様子が愛らしい像ですね。

 

西洋医術発祥記念像

西洋医術発祥記念像フランシスコ・ザビエルが大分にやってきて僅か6年後、この地に日本最初の西洋病院が設立されました。院内には入院施設があり、その珍しさから関東から遥々訪れに来た人もいたそう。またこの病院に日本初めての医学学校が併設され多くの日本学生が西洋医術について学びました。

 

瀧廉太郎像

滝廉太郎像滝廉太郎についてはこちらへ→滝廉太郎の生涯と名曲・荒城の月の由来について【大分の旅】

 

西洋劇発祥記念碑

西洋劇発祥記念碑1560年のクリスマスに府内のキリスト教徒が『アダムの堕落と贖罪の希望』、『ソロモンの裁判を願った二人の婦人』という西洋劇が日本で初めて演ぜられました。

この彫刻は『ソロモンの裁判を願った二人の婦人』を題材にしたもので作成者は船越保武。大正元年から平成14年を生きた彫刻家で岩手県出身のカトリック信者。

 

育児院と牛乳の記念碑

育児院と牛乳の記念碑これは日本初の西洋病院を建てたアルメイダが自費で育児院を建てたことを記念するもの。戦乱の世が続いた当時の日本は貧困故に嬰児の間引きが当然のように行われていました。これを見て憐れんだアルメイダは出来る限り嬰児を保護。育児院で牛を飼い彼らを牛乳で育てました。

 

終わりに

なるほど、意外と勉強になり有意義な散歩になりました。隈なく回ったつもりでしたがいくつか見逃してしまった作品がありました。一直線の公園なので見逃すはずはないと思ったのですが…。

道路と道路の間に挟まれた公園なのであまり利用している人がいなかったのは残念です。殆どの通行人は外側の歩道を歩いていたので大分市出身の人でも意外と知らない人もいるのではないかと思います。

おしまい!



みどりのかげ

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