墓から生まれた坊主のカリスマ!通幻寂霊禅師とは?【大分の旅】

通幻禅師って誰?と殆どの方は思うことでしょう。彼の生涯を見る前に『子育て幽霊(産女)』という日本の怪談を紹介するのでまずはどうぞ。

とある夜、飴屋が店じまいの準備をしていました。そこに髪を乱した青白い顔の若い女が現れ『飴を下さい…。』といい一文銭を差し出します。飴屋の主人は驚きながらも飴を手渡す。それからというものの毎夜一文銭を手に女は現れるように。主人は訝しりながらも飴を売り続けます。

7日目の晩、女が現れ『お金が無くなりました…。すみませんがこの羽織と飴を交換してください…。』と言ったそうな。飴屋の主人は女の弱々しいが切なるお願いに羽織と飴を交換してあげます。

そしてあくる日、その羽織を干してかけておくと通りすがりの男が訪ねてきました。『この羽織は最近死んでしまった我が娘のものだ。どこで手に入れたんだ?』と。主人はかくかくしかじかとこれまでの話を伝えました。男は大変驚き直ぐに娘の墓へ駆けつけます。

早速掘り出してみるとなんと!死んだ娘が生きた赤ん坊を抱いているではありませんか。娘は墓の中で生まれてしまった子供を育てるため三途の川の渡し賃として手に持たされた六文銭で飴を買っていたのでした。

その後、育てられた赤ん坊は健やかに育てられ高名な和尚になったそうな。

めでたしめでたし。

文中に出てくる高名な和尚は通幻和尚らしいです…。

また日本洞上聯燈録という曹洞宗の禅師について書いてある古文書の通幻禅師の項には↓

姓は藤原氏、その母は初め嗣子無し。常に仏塔に詣でる。聖者が生まれるように祷る。ひと昔、梵僧付するに金孟を以すと夢て妊娠した。(?)まさに分娩しようとしているときに亡くなる。父は悲しみ嘆く。古い神社のこの側に埋める。人が往来する。神社のそばで嬰児の声が聞こえる。とすぐに父は聞いた。穴(墓)を開いてこれを覗けば、すでに師が誕生していた。

みたいなことが書いてありました。(誰か訳して欲しい…)知識がないくせに漢文を無理やり訳したので意味不明な文章になっていますが『子育て幽霊』の元ネタのような話が曹洞宗の江戸時代くらいの古文書にあります。どっちの話が先かはわかりませんし両方創作だとは思いますが面白い話を持っている方ですね。

墓から生まれた通幻禅師とは?さて、彼の生涯を簡単に見ていきましょう。

 

通幻禅師生誕の地へのアクセス

大分空港から国道213号を国東市役所方面へ向かうと左側に『通幻禅師生誕の地』の小さな看板があります。左折して狭い道をひたすら進むとまた案内板がありますのでそれに従えばokです。

 

通幻寂霊禅師について

通幻禅師通幻寂霊(つうげんじゃくれい)は1322年から1391年(南北朝時代)を生きた曹洞宗の僧侶です。出身地は豊後州国東郡武蔵郷治郎丸(大分県)の阿弥陀寺、または因幡国岩井郡(鳥取県)といわれています。ここでは大分県生まれということにしておきしょう。

生まれたときに母、まもなく父も亡くなり祖母に育てられました。6歳で祖母に出家したいと希望したそうです。1332年、近隣の大光寺に入り沙弥(駆け出し坊主的な意味)になります。高名な定山祖禅に師事し1339年に大宰府戒壇院で受戒。

 

通幻禅師阿弥陀寺。

1340年に加賀国(石川県)の明峰素哲を訪ね大乗寺へ参学。そして1352年、能登国(石川県)の總持寺に移り峨山韶碩のもとで修業します。峨山韶碩には通幻寂霊を含めた5人(峨山五哲)の優れた弟子がいました。五弟子たちは總持寺内にそれぞれ院を創建しました。

1367年には加賀国の安宅という場所に太原山聖興寺を開山。聖興寺は何処にあったかわからない幻の寺だったらしく↓

江戸時代延享の頃(1744~1748)、聖興寺の存否について大論争があり、歴史から隠滅されてしまつた寺院である。

「加賀大乗寺史」に「聖興寺の存否、宗門史、郷土史に隠滅す」と見出しして、敢えて次のような一文が挿入されている。延享の昔、通幻四箇道場(総持寺第五世通幻大和尚が開創した寺院で加賀聖興寺もそのうちの一つであつた)の論争は、名判官大岡越前守の明も誤って黙山東昌寺、雷峰龍華院に奪衣追放の厳刑に陥らしめ、亦一代の禅史家泰音禅師の嶽山史論に於ける大嗟嘆(ナゲクコト)を為さしむ。

是れ禅史・郷土史の缺史(欠史)逸脱の致せし所、恐るべし。今(昭和の時代)幸にして、越前龍泉寺本通幻語録により、(大原山聖興寺の)加賀安宅に存在せるを知り、係争以後二百年後にして創めて懐疑を為し得たるは、これ宗門史、郷土史上の福音として慶ふへし。特に附記して後昆(子孫)に示す。・・・・(括弧内は引用者注)加南地方史研究49号 後藤 朗氏執筆より。

安宅新町史 〜 石川県小松市安宅新町の記録史 〜 より

とあります。

 

通幻禅師めがね橋。

1368年に能登国總持寺で輪住の住持(住職)になります。輪住は派閥争いなどを回避するための制度のようなもので交代制で住持を担当することです。この制度は峨山五哲が宗の組織化を図るため考え出したものとされています。

またこの頃、越前国(福井県)に龍泉寺を創建。1386年、細川頼之が天皇の命により七堂伽藍を建て通幻寂霊を招き摂丹境(摂津国と丹波国の境のこと。現在は兵庫県に位置する)に永澤寺を開山します。

 

通幻禅師一石十王像。十王は地獄で私たちを裁く閻魔大王を筆頭にした十尊のこと。

通幻寂霊は1391年に満70歳で亡くなります。弟子に通幻十哲という10人の優秀な弟子がいて彼らは日本全国に散らばり曹洞宗通幻派を大いに広め一時は曹洞宗最大の派となりました。現在でも有力な派だそうで通幻寂霊の影響力はまだ健在です。

 

終わりに

通幻寂霊を簡潔に表すなら『カリスマ坊主』といったところでしょうか。神霊的な力を持ち経営者的な目線で組織を運営し、豊かな知識や模範的な行動をもってして後身の教育も欠かさない。

実際のところどうだったのかは知りませんが、まぁとんでもなく立派な人だったのでしょう。じゃなかったら現在まで残る派閥は造れないよね。

※年号については案内板やネットを参考に書きましたが誤りがあるかもしれませんです。

おしまい!



通幻禅師

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。 コメント待ってるよー!