日本三大水城の一角・中津城へ!黒田官兵衛と城の歴史について【大分の旅】

中津は歴史好きや自然を求める人たちにおすすめできる観光スポットです。

市街地には黒田官兵衛ゆかりの史跡が多くありますし、少し奥地へ向かえば紅葉で有名な耶馬渓があります。またご当地グルメの中津からあげが有名でとても美味しい。

今回は中津観光の中でも主となるであろう中津城に行ってきましたので、歴史と城郭の様子を紹介致します。

それでは参りましょう!

 

中津城へのアクセスと入場料

電車ならJR日豊本線の中津駅を下車して徒歩15分ほどで到着します。

自動車ですと様々な経路があります。わかりやすいのは東九州自動車道の中津インターチェンジから中津日田道路に入り犬丸で下り最初の交差点を左折。道なりに進むと案内板が見えてきます。

入場料

大人:400円 子供:200円 詳細は中津城公式ホームページ

 

中津城の歴史について

中津城

中津城は豊臣秀吉の名参謀・黒田官兵衛(如水)が1588年に築城を開始し、そのあと入封した細川氏が拡張完成させた城郭です。現在の天守は摸擬建築で『天守はなかったのではないか?』といわれています。

海水を引き込んだ堀を持つ中津城は日本三大水城の一つに数えられています。

ちなみに他の二つは香川県の高松城と愛媛県の今治城です。

今治城

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高松城

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黒田如水と光姫の2人の息子、長政と熊之助

中津城

黒田官兵衛は戦国時代に珍しく側室を持たない一夫一妻を貫きました。この像は官兵衛と妻の光(テル/ミツ)です。二人の間には後に長政と弟の熊之助がいます。

長政は戦国時代末期に徳川家康に従い官兵衛のあと黒田氏を継いで福岡初代藩主になります。熊之助は朝鮮出兵の際に出陣を許されなかったため秘密裏に朝鮮へ向かおうとします。しかし嵐にあい船が転覆亡き者となってしまいました。

お家第一のこの時代に側室を持たず子も2人の官兵衛。熊之助が亡くなったとき官兵衛は何を思ったのか?もしかしたら官兵衛は自分が関与できない未来より今でしょ?みたいな現代的思考の持ち主だったのかもしれません。

 

黒田時代と細川時代の石垣

中津城

黒田氏が福岡藩に転封すると細川氏が中津藩に入ります。細川忠興は福岡県の小倉に城を築城しそこに藩庁を置いたため一時中津藩は無くなってしまいます。

石垣の真ん中あたりの境は右側が黒田。左側が細川時代に積まれたものです。古い黒田時代の石垣の方が石がきれいでしっかりと積まれていることにビックリしました。この石は福岡県上毛町にあった古代の唐原山城から持ち出されたものだそうです。

 

江戸時代の中津城

中津城

1632年、肥後国の加藤氏が改易になり細川氏が肥後入りします。そして中津城には播磨龍野藩の小笠原長次が入城し再び中津に藩庁を置きます。しかし1698年に中津小笠原3代目の長胤が悪政を行い幕府に咎められ改易になってしまいます。(小笠原本家は細川氏が造った小倉藩に入っています)

小笠原氏の代わりに入封してきたのは奥平昌成。奥平氏は明治期の廃藩置県までおよそ150年間続きました。10000円札で有名な福沢諭吉は中津にゆかりがある人物で中津最後の藩主である奥平昌邁は廃藩のあと慶應義塾に入学し中津市学校を建立するなどの足跡を残しています。

 

明治時代の中津城

中津城

中津城は廃城令により松の御殿と殿舎の一部を残し取り壊され、跡地には県の支庁が置かれました。しかし明治10年、西南戦争で薩摩側に呼応した中津隊によって残存する建物が放火され焼失してしまいました。

 

終わりに

中津城

中津城下町にはかつての名残や変わった寺が並ぶ寺町通り、そして福沢諭吉の旧居など見所が沢山あります。

福沢諭吉旧宅

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是非からあげでも食べながら中津観光を楽しんでみてください!

おしまい!



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