神域・諏訪湖と『あゝ野麦峠』

諏訪湖

長野県岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町に跨る諏訪湖。

この湖には心霊スポットの噂が流れているようだ。

噂についてネット検索してみると、幽霊の根拠は以下の2説に集約される。

・湖、あるいは周辺での事故や事件

・製糸工女の悲劇

前者については、ここでは具体的な事例を挙げないが、過去の新聞を調べると確かに事故や事件が起きていることがわかる。それなりの件数を確認できたので、これが原因で噂が立つ理由もわからなくはない。詳細が気になる方は有名どころのオカルトサイトを閲覧してみて欲しい。

後者は、富国強兵を目指した近代日本の興盛の陰に隠れた歴史の一幕である。これについては山本茂美氏の【あゝ野麦峠】を読むと概要が理解しやすいので、簡単に紹介しようかと思う。

 

あゝ野麦峠について

諏訪湖

時代は明治時代から昭和初期。

生糸の輸出で外貨を稼ぎ、富国強兵の道を突き進んでいく近代日本。

当時、日本一を誇る製糸の一大生産地だった諏訪湖の北西(岡谷市)には工場が林立し、生糸の生産が盛んに行われた。【あゝ野麦峠】はそこで働く女工たちにスポットライトを当てたノンフィクション文学である。

野麦峠は岐阜県高山市と長野県松本市の境に位置する峠で、飛騨高山~岡谷間を行き来する女工たちの通る道であった。

【野麦の雪は赤く染まった】の章では『吹雪の峠を越える女工の労苦』。【ああ飛騨が見える】の章では『兄に担がれ峠で亡くなった女工への憐憫』。【ササの海で生んだ赤ん坊】の章では『身籠った女工の慟哭』などなど、野麦峠にまつわる悲劇が綴られている。

 

諏訪湖と製糸工女の悲劇

『湖水へとびこむ工女の亡骸で諏訪湖が浅くなった』と後日演説してセンセーションを巻き起す学者(福田徳三博士)も現れたりした。

山本茂実 著 【あゝ野麦峠】 日清・日露戦争と野麦峠より

今まで<旦那>や検番のどんな理不尽にも何一つ反抗したこともなく、そういう嘆きは<弁天沖の身投げ>か<上浜ふみきりの鉄道自殺>かそうで無ければ、下諏訪のザアエクボ(鉄道自殺の名所)あたりを、メソメソさまようことよりほかに処する方法を知らなかった、あの<可憐な女工たち>の、どこにこんな<大それたエネルギー>がひそんでいたのであろうか?

山本茂実 著 【あゝ野麦峠】 女工惨敗せりより

オカルト界隈の方々が幽霊の根拠として挙げる『製糸工女の悲劇』はここにある。

閉鎖された厳しい環境下で生活する女工が鬱々として諏訪湖へ入水、あるいは鉄道云々と書かれているから列車への身投げもあったのかもしれない。さすがに『湖水へとびこむ工女の亡骸で諏訪湖が浅くなった』は大袈裟だが……。

この世に未練を残して死ぬことが地縛霊の条件だとすれば、諏訪湖に女工の幽霊が出るという説も理解できなくはない。まあ、私には幽霊が見えないし、ほとんど信じていないので、そこらへんは自称霊能力者たちで議論していただきたい。

 

製糸業と生死業

あの時は小坂の工場七、八つがいっしょにつぶれて一村全部売りに出ていた。こんなことは他所者には理解できることではない。だからここ(諏訪)では製糸業のことを『生死業』というのだ

山本茂実 著 【あゝ野麦峠】 興亡・岡谷製糸より

製糸家なんてものはそれは因果な商売で、きのうまで景気がよかったといっても浜(横浜)から悪い電報が一本入ったらそれでおしまいです。そういう製糸相手のワシらの商売もそれはおそろしい稼業でございました。

山本茂実 著 【あゝ野麦峠】 興亡・岡谷製糸より

【あゝ野麦峠】はある程度中立的な立場で書かれていて『経営者側の悲劇』についても言及されている。生糸の相場によっては一度に何軒もの会社が没落してしまうような時勢だった。製糸業者もまた女工と同様に時代に振り回されていたのである。

生糸の品質は女工の能力によって大きく隔たりがあったそうだ。輸出用の生糸は高い品質を求められるため成績の良い者は厚遇されたが、悪い者はこっぴどく叱責されたという。明治後期になると一応は労働基準法の前身となる法律があったようだけれども、圧倒的に雇い主の強い時代。現代の常識を求めるのは無理があるだろう。

当時、健康な男子は徴兵され諸外国との戦争に駆り出された。確か【あゝ野麦峠】の文中に日露戦争の旅順攻囲戦の勝利で湧き立つ人々の描写があったと思う。彼らは訓練に明け暮れ、いざ戦争となれば生きて日本に帰れるかどうかわからなかった。これも私たちから見れば悲劇である。

当時の感覚では女工も兵隊と同義だったのではないかと思う。男女ともに身を粉にして国家に尽くすのが当然な時代だったのだから。

 

映画の【あゝ野麦峠】について

それは粗悪な食事、長時間労働、低賃金等が定説となっているが、実際に調べてみると、飛騨関係の工女の中には食事が悪かったと答えたものはついに一人もなかった。低賃金についても同じだ。長時間労働についても、苦しかったと答えたものはたった三パーセントだけで、後の大部分は『それでも家の仕事よりも楽だった』と答えている。

山本茂実 著 あゝ野麦峠 興亡・岡谷製糸より

【あゝ野麦峠】は1979年(昭和54)に映画化されている。

映画を観てから原作を読んだ方は驚くと思う。映画は女工の悲劇にばかり焦点を当てる御涙頂戴な作品になっている。これはこれで見応えがあって面白いのだが、原作を歪曲している感が否めない。そういう演出にしないと一般受けしなかったのかもしれないが、ちょっと残念である。

明治後期に諏訪で生まれ製糸業に携わった霜村花さんの書かれた【諏訪湖讃歌 : 生糸の街のおみならによせて】では当時の諏訪の風景を振り返りつつ【あゝ野麦峠】を痛烈に批判している。

この映画に、ふるさと諏訪の人が涙ながしてゐたとすれば、うしろはみせぬ諏訪の蒼生の郡歌が泣くと、私は思ったきりだ。故郷遠く離れゐる者の方が望郷の念にかられて、故里の悪口には我慢が出来かねるのだ。

霜村花 著 【諏訪湖讃歌 : 生糸の街のおみならによせて】より

という訳だから、これから【あゝ野麦峠】に触れる方は映画を観るだけでなく原作や関連書籍も合わせて読むことをおすすめする。

 

終わりに

諏訪湖

諏訪湖は古事記に登場する由緒正しい湖である。湖の四囲には全国に20,000社以上ある諏訪神社の総本社・諏訪大社が鎮座する。諏訪大社の御祭神は水や風を司り、農耕・狩猟・航海を見守る神様として崇められてきた。

また古くから戦神としても知られ様々な武士が信仰の対象とした。なかでも武田信玄の諏訪信仰は有名である。信玄は諏訪明神の加護を得るため諏方神号旗を掲げたり、諏訪法性兜をかぶり戦いに挑んだと伝わる。さらに武田信玄の水中墓が諏訪湖の底に沈んでいるという伝説もあり、諏訪と信玄の強い結びつきを表している。

諏訪湖では、冬季に全面結氷すると南岸と北岸にわたって氷が裂け、高さ30cm~180cmほどの氷の隆起が発生することがある。これを『御神渡り』と呼ぶ。諏訪大社上社の建御名方命(男神)が下社の八坂刀売神(女神)に会うために通った道だと語られてきた。『御神渡り』は氷の膨張と収縮によって起こる現象だと判明しているけれど、それを知ってもなお神秘的に映る。

いちのまる
いちのまる

心霊スポットの噂があるから記事にしたわけだけど、諏訪湖は間違いなく神域なんだよね。ここで不幸な死に方をしたとしても亡者になって彷徨う前に『お諏訪様』が救い上げて下さらないかしら。なんか心霊スポットと呼ぶにはふさわしくない場所だと思うのです。

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