大分県

国宝・臼杵石仏(磨崖仏)と巡る人の一生【大分】

大分県は『まがいぶつ県』といっても過言ではありません。その数は日本一クラス。近畿、中部地方から始まったとされる磨崖仏文化は各地に広がり全国に知られるようになりました。今回訪れた臼杵磨崖仏は日本全国にある磨崖仏のなかで唯一国宝に指定されていま...
愛知県

名古屋城とその歴史について【愛知】

名古屋城築城には多くの大名が関わっています。天守石垣を担当した加藤清正を始め、福島正則、黒田長政、池田輝政、細川忠興etc……。これは対豊臣秀頼を想定しての天下普請(幕府が大名に命じた土木工事)でしたが、外様大名の競争心を煽って忠誠心を確かめるため、また彼らの勢力拡大の阻止を狙った政策だったようです。
滋賀県

大一大万大吉!石田三成の居城・佐和山城の歴史【滋賀】

佐和山城といえば石田三成。石田三成は1590年くらいから1600年までここを居城にしていた戦国武将です。豊臣秀吉に目をかけられ出世まっしぐらだった彼ですが、徳川家康と対立し関ヶ原の戦い後に人生の幕を閉じました。今回は三成の過ごした佐和山城がどんな場所か気になって訪れました。
群馬県

子育てのご利益があるパワースポット・呑龍様【群馬】

呑龍上人が大光院に着任したのは1613年(慶長18)。58歳のときでした。その当時は乱世が明けて間もなく地方の秩序は乱れていました。特に男女の不義が激しく、望まれず生まれてきた赤子を殺したり、年端もいかない子供を山に捨てたりする行為が平然と行われていたそうです。
群馬県

雨冠に児でなんと読む?川場の吉祥寺訪問記【群馬】

川場村の吉祥寺は鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺で創建は南北朝時代にさかのぼります。写真の釈迦如来像も鎌倉時代後期から南北朝時代に彫られたものと伝わります。寺内をうろついていると係員の方からクイズを出されました。「雨冠に児でなんと読むでしょう?」私は全く分かりませんでした。
群馬県

『日本の滝100選』に選ばれる棚下不動の滝へ【群馬】

日本の滝100選に選ばれているだけある。滝の裏が広い空洞になっています。想像よりも規模が大きく、高所からさらさらと流れる美しい滝に脱帽。虹が滝を引き立てていますね。どうやら棚下不動滝は雄滝、雌滝の二つからなっているようです。この写真は雄滝で雌滝は別の場所にあり気軽に行ける場所ではないようです。
大分県

広瀬武夫とアリアズナの悲恋物語。広瀬神社へ【大分】

アリアズナは広瀬武夫がロシア留学、駐在員時に出会ったロシア人女性です。一般的には文通をする恋仲だったといわれています。彼女は広瀬がロシアを去るとき銀時計と自分の写真入りのロケットを渡しました。そして広瀬戦死の報が入ったとき、一人喪に伏したそうです。
愛媛県

湯築城と伊予国の豪族・河野氏の歴史について【愛媛】

湯築城跡は伊予の豪族・河野氏の居城だった場所です。現在、城跡は道後公園として整備され、地元の方々や道後温泉に来た旅行者たちの憩いの場となっています。城の遺構は土塁や堀などが現存し、武家屋敷などが再現されています。それでは、その歴史を振り返っていきましょう。
大分県

豊後森藩の名残、旧久留島氏庭園を歩く【大分】

旧久留島氏庭園は江戸時代に豊後国(大分県)の『速水、玖珠、日田』を領した森藩の藩庁があった場所です。藩主は来島氏。戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上水軍の一族であります。1601年に入封し明治維新まで森藩を治めました。
東京都

ルネこだいら前にある日本一大きな丸型ポストについて【東京】

丸型ポストは1949年(昭和24)から設置が開始されました。正式名称は『郵便差出箱一号丸型』というそうです。1970年(昭和45)に角型のポスト設置に切り替えられ、新しく丸型ポストが設置されることはなくなりました。
東京都

南蔵院のしばられ地蔵と大岡越前守の逸話について【東京】

東京都葛飾区水元にある業平山南蔵院。南蔵院は1348年(貞和4)に創建された由緒のある寺院です。こちらの境内には『しばられ地蔵尊』と呼ばれる珍しいお地蔵様が安置されています。
愛媛県

瀬戸内海の大海賊、村上武吉!村上水軍博物館へ訪れて【愛媛】

戦国時代に瀬戸内海一帯を治めていた村上水軍。瀬戸内海は侵攻、輸送ルートとして攻守ともに重要なエリアだったので、隣接する大名としては必ず押さえておかなければならない要所でした。ですから村上氏は協力関係にある大名を守るため海上から敵を妨害し海の自由を奪いました。
愛媛県

島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡へ【愛媛】

来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については↓の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。それでは参りましょう!来島城へのアクセ...
愛媛県

村上海賊の城、能島城跡を展望台から眺める【愛媛】

今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島と鯛崎島。村上水軍の頭領・能島村上氏が能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。
神奈川県

江島神社の三相女神と北条氏の家紋・三つ鱗について【神奈川】

北条時政が子孫の繁栄を願って江の島弁財天に参拝したときのこと。目の前に美しい女性が現れて御家の将来に悩む時政に助言を与えます。全て伝え終えると女性は大蛇の姿になり大海へ去りました。突然の出来事に驚く時政。ふと地面を見つめると足元に三つの鱗が落ちていました。彼はこの鱗を持って帰り北条の家紋にしたと伝わります。
神奈川県

江の島で修業して鍼治療の達人になった杉山和一について【神奈川】

杉山和一(1610~1694)。現在の三重県津市の出身。幼少期に伝染病で失明し、長男として家を継ぐことをあきらめて義弟に杉山家を譲ります。17歳位の時に鍼術の道を目指し、山瀬琢一なる人物に師事しますが、上達せず破門されてしまいます。 破門されて絶望しますが『盲目の自分が生き抜いていくには鍼術の道しかない』と江の島の弁財天の下で命を賭した断食修行を行いました。
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