切通

神奈川県

1977年から通行止めの釈迦堂切通を遠くから眺める

この辺りは鎌倉幕府初代執権の北条時政の邸宅として紹介されていた。しかし発掘調査で複数の建物跡、火葬が行われた跡や多数のやぐらが発見されたことから廃寺の可能性が高いとされている。また発掘された最も古い遺構が北条時政が没した後の時代のものであったことから、名越邸説は覆り、大町釈迦堂口遺跡と名称を改めるに至った。
神奈川県

鎌倉七口・国指定史跡の名越切通を通る。吾妻鏡の『とある殺人者』の記述を添えて

現地の案内板によると名越切通が初めて史料に登場するのは吾妻鏡と紹介されている。どのような文章なのか気になったので以下に引用する。文中の名越坂が名越切通の事で、犯人を外部へ逃さないように封鎖した場所、血の付いた服を洗う犯人を捕らえた場所として描かれている。このように有事の際には各切通を封鎖し検問を敷いたのである。