愛媛県

島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡へ【愛媛】

来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については過去の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。coming soon今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。それでは参りま...
愛媛県

村上海賊の城、能島城跡を展望台から眺める【愛媛】

今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島と鯛崎島。村上水軍の頭領・能島村上氏が能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。
大分県

お猿の山!高崎山のてっぺんには何がある?【大分】

古くは日本書紀に高崎山には狼煙台があったと記されています。南北朝時代に豊後大友氏8代当主の大友氏時が高崎山に城を築いたと伝わります。氏時の兄・氏泰の代に足利尊氏が新田義貞ら官軍に追い詰められ九州に落ち延びてきました。その際、大友氏は尊氏を庇護したことから氏時は猶子となり『氏』の字を与えられたといわれています。
東京都

檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京】

東京都には意外にも8つの村が存在します。そのうち7村は伊豆諸島と小笠原諸島に広がる島々にあります。残りの1村は本土にある東京の西端に位置する檜原村です。今回は檜原村にある檜原城跡と吉祥寺十三仏を紹介いたします。
愛媛県

大洲城の3つの別称の由来とその歴史について【愛媛】

愛媛県大洲市、肱川のほとりにそびえる大洲城跡。その歴史は古く、鎌倉時代の末期に伊予国の守護として遣わされた宇都宮氏が大洲を拠点とし城を築いたことから始まります。戦国時代には築城名人の藤堂高虎や賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる脇坂安治などが入城し城郭の拡張、改築に取り組みました。
群馬県

武田勝頼による膳城素肌攻めとはどんな戦い?【群馬】

時は1580年(天正8)。厩橋城(前橋城)を接収した武田勝頼は伊勢崎、大胡、山上の諸城を攻め落とし、境界の巡察を命じました。武田勢は戦うつもりがなかったので、平服のまま小さな旗だけ掲げて膳城の近くに差し掛かりました。
愛媛県

伊予松山城の歴史と幾つかの伝説について【愛媛】

愛媛県松山市にある松山城は日本全国に12城しか存在しない現存天守の一つで、天守以外にも多くの建造物が重要文化財に指定される歴史的価値の高い城として人気を集めています。それに併せて当県の代表的な観光地である道後温泉が程近くにあるため、日々多くの観光客で賑やかです。
石川県

大聖寺城跡(錦城山公園)が心霊スポットと言われる理由【石川】

石川県加賀市にある大聖寺城跡(錦城山公園)。城跡は錦城山公園として整備され、加賀市の文化財の指定を受けている。遺構は曲輪や土塁・空堀。また江戸時代に置かれた大聖寺藩の陣屋も城跡の一部で、藩主の休憩所として建てられた長流亭は国の重要文化財に指定されている。
長野県

国宝・松本城とその前身の深志城の歴史について【長野】

徳川幕府が滅び、明治時代になると新政府によって廃藩置県が行われます。この頃になると城の存在意義がなくなり日本各地で城の取り壊しや払い下げが行われます。松本城も例外ではなく売りに出され一時は破壊される予定でした。『松本城を壊されてたまるものか!』と地元の名士・市川量造が松本や東京、大阪の都会の人々に募金を募ります。
鹿児島県

西南戦争の最期の舞台、城山公園を歩く【鹿児島】

城山には心霊スポットの噂が流れている。武士の霊、少女の霊、子供の霊、トンネルでずぶ濡れの霊などなど、様々な噂があるようだ。あまり認めたくないけれど、城山の戦いでは戦死者が出ているし、彼らは最後の武士であったわけだから武士の霊が出るというのは、なかなか説得力がある。
茨城県

昔から心霊の噂があった?多良崎城跡を歩く【茨城】

1978年(昭和53)3月発行の勝田市史に多良崎城の曰くが記されている。心霊サイトでは『多良崎城は茨城県のなかでもかなり恐怖度の高い心霊スポット』といったニュアンスで紹介されることが多いようだ。
茨城県

笠間城になぜ心霊スポットのうわさが流れているのだろうか?【茨城】

笠間城の曰くとして最も興味深いのは大黒岩の伝説だろう。大黒岩の他に井戸にまつわる曰くもあるようだ。『城内の井戸に女性の遺体が投げ込まれた』とか『ホラー映画【リング】に登場する貞子の井戸のモデルなった場所』だとかまことしやかな噂が囁かれている。
茨城県

茨城県の小幡城にまつわる心霊スポットのうさわ【茨城】

小幡城が落城の際にお姫様が家宝の金の鳥を抱え井戸に身を投じたという話が伝わっている。茨城町教育委員会が現地に設置した説明板にこの話が書かれていることから察するに、史実かどうかは別として姫の悲話は古くから当地に言い伝えられてきたのだろう。
群馬県

新田義貞ゆかりの遺跡巡り!荘園と武士の誕生について【群馬】

新田義貞は南北朝時代に活躍した群馬県出身の武将です。腐りきった鎌倉幕府を攻め滅ぼすという偉業を成し遂げました。彼は後醍醐天皇のために尽くすのですが、朝廷では『この田舎武将が!』と天皇やその取り巻きに虐げられてしまいます。最後はライバルの足利尊氏に敗北し、尊氏が室町幕府を開くという偉業を果たしたため義貞はかませ犬的なポジションになってしまいました。
群馬県

桐生城跡に行ってきたので、桐生市の歴史を紹介する【群馬】

生まれ故郷だからか、桐生(きりゅう)という名前の響きが大好きです。といってもただ響きが好きなだけで、桐生の歴史や地理的なことは全く知りませんでした。いちのまる『故郷を知らずして他を語るのはいかがなものか?』とちょっと反省。というわけで久しぶ...
群馬県

群馬県民の内紛?!蚊帳の外の桐生市民が『前橋vs高崎』の歴史を振り返る【群馬】

群馬出身の私は常々こう思っていました。高崎市は前橋市と比べて人口が多くて明らかに都会の雰囲気。新幹線も通ってるし。私でさえそうなのだから何も知らない人が高崎市と前橋市を見比べたら群馬の中心は高崎市と思うはず。