私は飛行機が苦手だ。
日本航空123便墜落事故が脳裏に焼き付いているからである。
この墜落事故が発生した約2ヶ月後に私は群馬県で生まれた。
だから当時の状況を全く知らないのだが『あんたが生まれる直前に御巣鷹山で飛行機の大事故が起きた。』と親族にしばしば聞かされた。
そのため『飛行機=日本航空123便墜落事故』の式が成り立つくらい記憶にこびり付いている。
毎年、夏になると事故に関するニュースが報道される。
恐らく、学生の頃だと思うが、初めて墜落直前の操縦室の音声をニュースで聞いたとき戦慄した。
『はいじゃないが』
『どーんといこうや』
これはボイスレコーダーに残る機長の言葉である。
音声は異常発生から墜落までの約32分間。※現在もyoutubeで聴ける。
驚くほどリアルで情景を思い浮かべると恐怖と悲痛で涙が出そうになるくらいだ。
機長の言葉は、これだけ聞くとヤケクソで放ったように聞こえるがそうではないと思う。
音声を聞けばわかるが、ブレる機体を最後の最後まで安定させようと懸命に指示を出し続けている。
墜落した現場は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根で通称・御巣鷹の尾根と呼ばれている。
心霊スポットの噂…。
不謹慎にも御巣鷹の尾根を心霊スポットだと言う人がいる。
確かに多くの方々が無念の内に亡くなった場所であるから理解出来なくも無い。
【しんれい新聞】は『心霊スポットの根拠(歴史)に迫るサイト』である。
管理人は霊そのものには全く関心が無く『何故、心霊スポットの噂が広まってしまったのか?』ということだけを追求する変わり者だ。
『そこは心霊スポットだ!』と言う人がいる限り、不謹慎であろうが原因を探さなければならないと考えている。(原因不明の心霊スポットが殆どだが)
まぁ、ここに関しては理由が明らかであるから、これ以上心霊云々は言わないことにする。
御巣鷹の尾根の場所
登山道入口まで自動車で向かい、そこから徒歩で約1km進むと墜落現場に到着する。
しっかりと整備された登山道だが、かなり急なので軽装はお勧め出来ない。
雪が降ったら諦めよう。私は冬に行って断念した。
日本航空123便墜落事故について
1985年(昭和60)8月12日、午後6時56分30秒。
羽田空港発、大坂伊丹空港行のJAL123便が群馬県多野郡上野村の山奥で墜落した。
乗客乗員524名の内、520名が死亡するという未曾有の大事故となった。
事故は、後部圧力隔壁の不適切な修理に起因し、隔壁が損壊したことにより、胴体後部・垂直尾翼・操縦系統が損壊し、飛行性能の低下と主操縦機能を喪失したために生じたと推定しています。
日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説より
1987年(昭和62)6月に公表された航空事故調査報告書にはこのように記されているという。
事故の原因
1978年(昭和53)に発生した日本航空115便しりもち事故で後部の圧力隔壁が損傷。
アメリカのボーイング社に修理依頼したが、適切な修理が出来ていなかった。
これが事故の原因となっている。(日本捜査員がアメリカに派遣されたが、裁けなかった。)
その後、点検整備で発見されることなく圧力隔壁の亀裂が広がっていく。
そして7年後、客室の与圧に耐えきれなくなり圧力隔壁が壊れ開口してしまう。
開口部から与圧空気が流れ出し尾部胴体の内圧上昇。
機体の最後尾に装備してあるAPU(補助動力装置)、尾部胴体の一部が破損して脱落。
垂直尾翼、油圧操縦系統も損壊。
遂に機体のコントロールが効かなくなり墜落。
もっと詳細を知りたい方は【日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説】を読むといいだろう。
ただ数字が多いのでやや難しい。(私は数字が苦手なのだ)
現場の惨状
乗客乗員524名の内、生存者はたった4名である。
機体前部と後部で状況が大きく異なった。
激突の衝撃で機体は分断され、後部は尾根から約300m滑り落ちている。生存者は後部にいた。
発見された遺体の損傷は少なく、墜落直後は4名以外にも生存者がいたとされている。
機体前部は尾根に直撃した。そして火災が発生した。現地に着いた救助隊はその光景に絶句しただろう。
当時の状況を詳しく知りたい方は、遺体の身元確認の責任者を務めた飯塚訓氏の『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』を読んで欲しい。
遺体安置所での遣り取りがありのままに書かれている。かなり衝撃的な内容であるが、読む価値はあると思う。
あまりおすすめしないが、googleで日本航空123便墜落事故を画像検索するとマスメディアが撮影した事故現場の写真が数多くHITするので、事故の惨状は今でも確認出来る。
終わりに
日本航空123便墜落事故には謎が残されているらしく様々な憶測が為されている。
国家レベルの陰謀論を展開する者がいる程だ。
私にその正否を判別する能力は無い。だから陰謀論については一切触れなかった。
さて、事故の概要は把握出来たが、私はこれから何を学び取ればよいのだろうか…。
似たような理由で心霊スポットの噂が流れている『慰霊の森(岩手県)』という場所がある。
興味のある方は覗いて欲しい↓
コメント
羽田を離陸した123便は、伊豆半島を通過した辺りから羽田に戻ろうとして苦闘した後。
事故に遭ったのではと判断されてから、夜になってしまい捜索が遅れたのはと思います。
今なら、携帯電話の位置情報云々なんて探し方もあるけど、
当時は、飛行機ですら、何処へ?って感じだったのかな~。
上野村を訪問した時、急峻な山ばかりで、
ジェット燃料が燃えている最中に人だけで近づくのも大変だったかもですね。
少しでも生存者がいてくれて佳かったとか、
もっと助けられればとも思う一方、アメリカの様にビルにぶつかって。・・・
防げる事故は無い方がいいですよね。
上総 さん
お久しぶりです!ブログを二つに分けてこっちは心霊スポット特化にしました。
今のようにGPSがあればすぐに駆け付けられたのでしょうが、なかなか墜落場所を特定出来なかったと言いますね。
かなりの山奥ですから下手に搜して遭難という可能性もありますし。
現に報道陣が勝手に動き回って遭難したなんて話があるくらいです。
そうですね。この事故は凡ミスを数年間気づくことが出来ずに起きた事故ですから、
徹底していれば回避可能だったかもしれません。
まぁ、結果論なのですが。