岩手県岩手郡雫石町にある慰霊の森。
全国に存在する数多の心霊スポットの中でも取り分け恐怖度&危険度が高いと噂されている。
その名称からして『何かを鎮魂』するための場所だということは分かる。
さて、一体ここで何が起きたのか?
慰霊の森の歴史を振り返っていこう。
慰霊の森の場所
東北自動車道・盛岡ICから『秋田、雫石』方面へ進む。
道なりに凡そ5分走り滝太橋北の信号を左折、続いて突き当りを右折する。
ダム湖畔沿いを暫く進むと左側に『慰霊の森』の看板が見えてくる。
慰霊の森の歴史
1971年(昭和46)7月30日午後2時3分頃。
岩手県盛岡市の西10km、雫石町の上空にて。
13時33分に千歳空港を出発した羽田行き全日空58便ボーイング727機と、自衛隊第一航空団所属のジェット戦闘機F86Fが衝突。これを全日空機雫石衝突事故という。
SOS緊急信号を発した後、付近を飛ぶ航空機がこれを傍受したものの、悲鳴のような叫び声を最後に発信は途絶えたとのこと。
自衛隊機のパイロットはパラシュートで降下し、同県雫石町内の病院に収容される。
衝突後、全日空58便ボーイング727機は暫く飛行していたが、降下状態から復帰できず、音速を超えて空中分解し墜落。乗員乗客162名全員が死亡した。
乗員乗客は空中分解した機体から落下したため、刹那ではあるが空中を彷徨い広範囲に散らばった。
遺体はどれも衣服がズタズタになり、衝撃で殆どが血まみれで、身元確認に難航したという。
刑事裁判
全日空58便ボーイング727機と衝突した自衛隊の訓練生とその教官が逮捕されている。(訓練生と教官は別の機体に搭乗)
刑事裁判で訓練生は無罪、教官には禁錮3年執行猶予3年の判決が下った。
事故が起こった最大の原因はジェット旅客機が通るルートに自衛隊機が進入してしまったためである。臨時で設定された『盛岡』という訓練空域に問題があった。
・教官はジェットルートが盛岡市街を中心に南北に通っているという間違った認識をしており、その西側を飛行すれば問題ないと考えていた。
訓練空域を設定したのは教官ではない。
とある上官が設定し、数名の上官がこれを承認している。
このとき、誰かが『付近にジェット旅客機のルートがあるから注意すべし。』と伝達出来ていればこの事故は起こらなかったということだ。
教官は裁かれたが、彼の上官は誰も裁かれなかったそうだ。
民事裁判
国(自衛隊)、全日空の双方に過失が認められ、国の責任がより重いと判断された。
自衛隊に関しては上で述べた通りだが、全日空58便ボーイング727機も回避措置をしていれば事故にならなかった可能性があったからだ。(ジェットルートは外れていなかったが)
最初、過失割合は6:4。後に国が2、全日空が1となった。
乗客の遺族は国に対して訴えたようだが、詳細は分からない。
その後
事故後、航空交通安全緊急対策要綱が発表され、訓練空域と民間航空路が完全に分けられている。
航空法の改正が行われ『運航ルールの厳格化』や『トランスポンダーやフライトレコーダーの装着義務』などが徹底された。
また、レーダー施設の重要性が高まり研究、拡充が行われるようになる。
終わりに
あれこれと述べてきたが、慰霊の森が心霊スポットと言われる理由は全日空機雫石衝突事故である。
多くの方々が無念の死を遂げた場所であるから、このように捉えられてしまうのは無理もない。
ただ、訪問するのであれば面白半分ではなく、失礼の無いようお参りするべきだと思う。
私たちの空の安全は彼らの犠牲によって守られているのだから。
似たような理由で心霊スポットの噂が流れてしまった『御巣鷹の尾根(群馬県)』という場所がある。
興味のある方は覗いて欲しい↓
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