かたちが、大鴉が空をかけるようだというので、行人、センスをひらめかし、空素(カラス)沼と名付けた。このあたり、百鬼夜行、ぞつとする小暗き沢だつた。里人は、かなたをそつと指さして、狼ヵ沢といい、こなたを指さしては帰らずの沢といつた。
1954年(昭和29)発行 伝承の民話 : 秋田に伝わる土地々々の物語
秋田県秋田市、古代城柵・秋田城の外郭東に位置する空素沼。これで『からすぬま』と読む。
空素沼にはこんな言い伝えがある。
主君を失ったのでしょうか。あるとき放浪武士が狼ヵ沢の辺りにたどり着き住居を構えました。
彼はとても勤勉だったので、怠けることなく田畑を耕して生計を立てました。彼の努力は実を結び、たいそうなお金持ちになりました。
富は人を変えてしまうのかもしれません。彼は次第に傲慢になっていきました。私腹を肥やすようになり、貧しい人々を蔑み、自然を蔑ろにするような悪い人になってしまったのです。
ある夏の日。『瑠璃の洞窟が狼ヵ沢にある』という噂が流れました。彼はすぐに仕度をして沢の奥へ向かいました。
その道中、嫌な空気が漂い、草生が不自然に揺れたため『なにかしら?』と立ち止まり目を凝らして正面を見ると、そこには火を吹く巨大な蛇がいるではありませんか。
彼は驚きのあまり尻もちをついてしまいました。そして大蛇は彼に近づき息を吹きかけました。彼は急いで立ち上がり何度も念仏を唱えながら逃げましたが、その後どうも身体の調子がおかしい。
3年経って彼は病気で死んでしまいました。大蛇の呪いだといいます。
彼には長年付き添った妻がいました。旦那の死をいたみ涙を流していると、とつぜん白髪の老人が現れて『お前の涙は偽善だ。泣いても笑ってもいつでも涙している。まるでコウモリじゃないか。私はこれから狼ヵ沢に行って災いを払ってくるからみていろ』と言いました。
翌朝、妻が庭に出ると、かつて旦那が耕した田畑は一夜として大きな沼となり、沼の真ん中から綺麗な水が湧きだしていました。
こうして空素沼は生まれました。
長くなるので割愛するが、これの他に『盗み出された寺院の竜頭』にまつわる言い伝えもあるようだ。これも『狼ヵ沢』が一夜にして大きな沼に変貌したという結末になっている。
空素沼は風に運ばれた砂によって堰き止められてできた沼池だという。上で引用した【秋田に伝わる土地々々の物語】に『百鬼夜行、ぞつとする小暗き沢だつた』とあるように誰も近づかない場所だったのだろう。久方ぶりに訪れた里人が今まで存在しなかった沼に驚き、一夜沼の伝説が生まれたのかもしれない。
とあれこれ述べてきたが【広報あきたオンライン】でもっと詳しく解説されているので、気になる方は↓のリンクから飛んで一読していただきたい。
江戸時代には雨乞いの儀式が行われた記録が残っている。
久保田藩主・佐竹義和の治世に大旱魃が一帯を襲い、田畑に甚大な被害をもたらそうとしていた。そこで藩は3人の名僧を招集して雨乞いの祈願を行った。これが功を奏したのか、やがて雨は降り出し旱魃の脅威から民を救うことができた。そして儀式の場に三頭の竜神が祀られた。
これが空素沼に鎮座する空素沼神社の起こりとされている。
終わりに
正規のルートが立入禁止だったため、裏にまわってどうにか空素沼を撮影できた。関東からだとなかなか秋田県には行けないので、沼を見れなかったらどうしようと若干泣きそうになったが、ちょっとでも見れたので良かった。
空素沼には心霊スポットの噂が流れているようだ。
自殺があったという情報がある。これに関してはエビデンスが示されていないので、確証はない。過去の新聞に『むかしは空素沼で水泳の練習をしていた。溺れて亡くなる子供もいたから、親からは泳ぐなといわれていたが、隠れて泳いでいた。(要約)』と書かれているから頻度はわからないけれど事故は起きていたようである。
『雨乞いの儀式で生贄にした動物の霊が云々』と紹介するサイトを読んだが、曹洞宗関連の書物に儀式の供物のおおよその内容が記されていて、そこには『花、燭、湯、菓、茶、餅、膳、香、野菜、経本』とあり、生きた動物を供物にした表現はなされていない。
上で紹介した『狼ヵ沢』や『帰らずの沢』の伝説は間違いなく噂の根拠になっているだろう。また『沼の亀を取ると祟りがある』というような記録も残っているから曰く付きの場所として古くから知られていたことが想像できる。竜神伝説もあることから忌み地というよりは神域といったほうが相応しい気もするが……。
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