小渋ダムになぜ心霊スポットの噂が流れているのか?

小渋ダム

長野県下伊那郡松川町と同県上伊那郡中川村の境に位置する小渋ダム。

1963年(昭和38)4月に着工。6年後の1969年(昭和44)5月に落成した。

構造はアーチ式コンクリートダムで『洪水調節』『灌漑用水』『水力発電』の機能を備えている。

 

小渋ダムと三六災害

小渋ダム

小渋ダム建設の歴史背景に三六災害がある。

三六災害は1961年(昭和36)に伊那谷・天竜川流域で発生した大水害で、被害は『負傷者1000名以上、死者・行方不明者は136名、家屋は全壊・半壊を合せると1500戸』に及んだ。

現・小渋ダム周辺の集落は家屋が土石流に飲み込まれてしまい集団移住を余儀なくされた住民が多い。ダムの北方に残る四徳学校跡の石碑は四徳分校があった場所で、平家落人の伝説が残る歴史のある集落であったが、ほとんど流されてしまった。埋もれた分校の写真がネット上で確認できるので気になる方は検索してみてほしい。

 

小渋ダムと水没集落

小渋ダム

小渋ダムの建設に当たって桑原集落(中川村)の2/3が水底に沈められた。1967年(昭和42)8月発行の【ダム日本】によると他の集落を合せて80戸が水没したとある。

伊那史学会の資料に水没前の集落風景が描写されている。

三六水害で削られた四徳川の谷小渋ダムで水底となる部落、県営発電所などを見下ろして桑原分校着、小憇茶菓にのどをうるおす間に平沢一夫、米山伊千夫両氏の農地かい放史、水害、ダム水没三十三戸で九十戸が四十戸になる話、部落の人たちの歩いた過去の道、生きて行かねばならぬこれからの道などを懇切ていねいな説明をきいて辞去、折り返して町から北へ。

1964年(昭和39)5月発行 伊那史学会 編 伊那 四三二号

水没集落といえば下筌ダムや八ッ場ダムの騒動を思い出すが、ここに関しては三六災害で直接大損害を被った地域だったため、ダム建設に対しての強烈な反対は少なかったのかもしれない。

 

終わりに

小渋ダム

小渋ダムには心霊スポットの噂が流れている。

心霊写真が撮れる、女性の霊が出ると囁かれているようだ。

根拠として語られているのは『自殺の多発現場』や『ダム建設で複数の殉職者が出た』である。

前者に関しては、多発しているのであれば問題視されて必ずメディアが情報を発信する。そういった情報が一切見当たらないことから自殺の多発はデマと断言してよいだろう。自殺が全くなかったとまでは言わないが……。

後者に関しては事実である(幽霊が出るかどうかはしらん)。ざっくり調べた限り、最低でも5名の作業員が工事中の崖崩れや落石によって亡くなっている。

いちのまる
いちのまる

ダム系心霊スポットの背景を調べると、水没集落の存在や工事の殉職者にたどり着くケースが多いね。他に考えられるのは事故や事件の発生頻度。でも調べた感じ小渋ダムはそこまで事例がなさそうです。

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