力丸ダムは1965年(昭和40)7月に造設された福岡県営の多目的ダムである。
1953年(昭和28)6月26日に九州地方を襲った豪雨により九州北部は甚大な被害を受けた。
また、下流域の北九州市や直方市(のおがた)の発展により水不足の問題が顕著となった。
こうした背景により治水、上水道用水、工業用水を目的とした多目的ダムの建設が計画されるに至る。
1959年(昭和34)から事業が開始され、1964年(昭和39)に一回目のコンクリートが打ち込まれ約一年後に完成した。
慰霊碑と水没世帯
ダムの横にある慰霊碑の裏には何人かの名前が刻まれていた。

昭和四十年と彫られていましたのでダム建設中に殉職した方々だと思われます。
力丸ダムが造られた谷には、かつて36世帯の集落があり建設に伴ってダム底に沈められている。
どのような集落があったのかは今となっては分からないが、神社や寺、そしてお墓など集落の方々が先祖代々守り抜いてきた大切な遺物も多かったに違いない。
もちろん御神体は遷座しただろうし、墓の改葬もしっかりと行われたと思いたい。
そう分かっていながら、ダムの水没集落と聞くとどんよりとした暗いイメージを持つのは私だけだろうか?
心霊スポット・力丸ダム
ダムはひと気の少ない山奥にあることが多いので、しばしば犯罪の舞台に選ばれる。
力丸ダムでは割と凄惨な事件が4件も起きている。(発覚していないだけでもっと起きているかもしれない。)
慰霊碑の存在、水没世帯、事件。
世のオカルトマニアたちがこの場所を放っておくわけがない。
福岡の心霊スポットといえば犬鳴峠が有名だが、人によっては力丸ダムのほうが『ヤバい』と云う。(どういう意味で『ヤバい』のかは知らないが…。)
犬鳴峠については↓
力丸ダムで起きた事件について見て行こう。
力丸ダムと事件
暴力団会長が自分の妻に保険金が掛けられます。3000万で雇われた男性が会長の妻を車に乗せそのまま力丸ダムに飛び込み殺害します。男性は車から脱出する予定でしたが、飛び込んだ際の衝撃が強すぎてそのまま亡くなってしまいます。
保険金を騙し取った暴力団会長と関係者は逮捕されています。
場所は中間市内。当時24歳の男が『ナンバープレートが外れよる』といって一台の車を停めます。車外に出ようとした女性を押し倒し気絶させます。そのまま男性は運転席に乗り力丸ダムへ向かいます。
男性は女性を辱め証拠隠滅のため殺害、雑木林に遺棄して逃走。その後、逮捕。
担当の裁判長は『極めて残忍な犯行で、良心のかけらもない』と求刑通り無期懲役を言い渡しています。
力丸ダムの東南端の湖底から軽トラックが発見されます。車内には白骨化した男性の遺体がありました。
自殺が濃厚だそうです。
3人の男性が女性との交際をめぐるトラブルから被害者を呼び出し暴行。力丸ダムに連れて行き吊り橋から突き落として殺害しています。
別の傷害容疑で逮捕された3人が自供し再逮捕されています。
細かいことで恐縮だが、多くのサイトで1989年(平成1)の事件を1979年(昭和54)と紹介している。
Wikipediaですら間違えているので止む終えないのかもしれません。(今はどうだか知らない)
これ以外の事件を書いているサイトもあったが、大きな事件の割に過去の新聞に記載されていなかったので信憑性が低いと判断しここには残さなかった。
終わりに
こう事件を追ってみると『心霊スポットより人間のほうがよっぽど怖いな…。』といつも思わせられる。
そして『自分が思っている以上に恐ろしい事件が起こっているんだな。』と改めて気づかさせられた。
何かのときに備えて、ある程度の自衛策は考えておいた方が良いのだろう。特に女性は。
ところで力丸ダム湖畔には力丸十二支苑という有名な廃墟がある。
現在は立入禁止になっているので無断で入ったら不法侵入で最悪捕まるので、入らないように!
気になっていたので写真に収めようと試みたが、草木が繁茂していて中の様子は殆ど分からなかった。
しょうもない写真を何枚か撮影して来たので、ついでに記載して終わろうかと思う。
廃墟・力丸十二支苑の外観
以上!
コメント
こんばんは(^^)
力丸ダム周回路はバイクでよく走ってたんですが、溜まってる水も
なんか気味悪い色してたり、廃墟が点在してたりで、総じて薄気味悪い
雰囲気なんですよね・・・。
スケート場の廃墟もあるんですが、そこは野犬が徘徊してて、純粋に
身の危険を感じましたね笑
バイク人 さま
おはようございます!
廃墟好きな人にとってはワクワクするような場所みたいですね。
犬鳴峠は割と交通量ありますが、こっちは少ないように感じました。
物静かでなんだか取り残された場所な気がします。
野犬は怖いですね。山の中で動物に遭遇するとギョッとしますよね。