心霊スポットと噂される牛頸ダムへ行ってきた!噂の根拠は何処にあるのか?

牛頸ダム

大野城市、御笠川水系の牛頸川にある牛頸ダム。『うしくび』と読む。

ダムの説明板によると、

昭和40年に完成した大野町営ダムは治水力がなく、洪水により水害等が発生し、また人口増加により従来の16万トン貯水量では水不足になったため、現在の牛頸ダムが造られました。

牛頸ダム 説明板

とのこと。

 

ダムの今昔

牛頸ダム

現地案内板より編集引用

1977年(昭和52)に撮影された航空写真。

牛頸ダムは1970年(昭和45)に予備調査が行われ、1977年(昭和52)に建設事業が着手され、1992年(平成4年)に完成した。

写真は規模の小さかった大野町営ダムである。次に牛頸ダム完成後の写真を見てみよう。

 

牛頸ダム

現地案内板より編集引用

2016年(平成28)撮影の写真。

16万トンの貯水量のダムからおよそ14倍の228万トンのダムに生まれ変わった。

集落は沈んでいないようだ。田畑はちょっと水没しているみたいだが……。

 

牛頸の名の由来について

牛頸ダム

牛頸という地名を聞いたとき『神にいけにえとして牛の首が捧げられた』とか『連れている牛が動けなくなって止む無く首を落とした』とかいったダークな物語を少し期待していたが、諸説ある由来にそういう要素は含まれていなかった。

平野神社の西に位置する古野山の形が、牛が首を伸ばした形に見えることからその名が付いたと「筑前国続風土記」に記述されています。

また、縄文時代、牛頸付近は海岸線になっていたことから、アイヌ語の「海の入り江」を表す「うし」から来たとも言われます。

その他に6~8世紀、須恵器の窯業技術をもたらした集団が朝鮮の牛頭山(ソシモリ山)から渡ってきて、故郷の地名「牛頭」を村の名前にし、それが変化して牛頸になったという説もあります。

牛頸公民館HPより

 

心霊スポットとしての牛頸ダム

牛頸ダム

牛頸ダムには幽霊出没の噂がある。いわゆる心霊スポットというやつだ。

何か根拠があるのだろうか?

ダム系心霊スポットに訪問するとたまに慰霊碑を見掛けるが、これは建設中に事故亡くなった殉職者の霊を弔うために建てられた場合が多い。しかし牛頸ダムに慰霊碑は存在しない。

ダムの建設によって水没した集落があると幽霊の噂が立ちやすいのだが、ここにはそれもない。

あとは事故や事件の発生をみてみよう。

 

牛頸ダム

過去の新聞で牛頸ダムを調べると3件の事件が発生していることが判明した。

・1998年(平成10)、牛頸ダム建設事務所の近くに停めてあったパワーショベルが転落し下にいた男の子が下敷きになり亡くなる。

・2008年(平成20)、牛頸ダム近くの道路でトラックが全焼。中から男性の遺体が発見される。

・2017年(平成29)、大野城いこいの森水辺公園の駐車場の乗用車内から大人1名、子ども2名の遺体が見つかる。また近くの林で女性の遺体が発見される。

いちのまる
いちのまる

10年くらいのスパンで事件が起きてますね…。

これらの事件が心霊スポットの噂の由縁になっている可能性は十分に考えられるだろう。

 

牛頸ダム

牛頸ダム

牛頸ダムの周辺には命の看板が設置されていた。

ここにこれがあるということは、最期の場所として選ぶ方が一定数いるのだろう。

各地の心霊スポットを巡っているとしばしば命の看板に出会うが、見つける度に何とも言えない気持ちになってしまう。

 

終わりに

牛頸ダム

牛頸ダムは夜景の名所でもある。生活の光が見える場所を最期に選ぶ気持ちは理解出来なくもない。

 

心霊スポットの噂が流れている場所は輩の溜まり場となる可能性があるので少人数での夜の訪問は余りお勧めしない。

なるべく人数を集めて静かに夜景を楽しもう。時期によってはホタルの観賞も出来るそうだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました