白金トンネルはなんで有名な心霊スポットになってしまったのか?

今回は東京都港区にある白金トンネルついて。

いわゆる『化けトン(お化けトンネル)』ってやつだ。

東京には幾つか『化けトン』があってそれぞれ全国的に著名な心霊スポットとして知られている。

いちのまる
いちのまる

時間があれば全部巡ってみたいんだけど、東京の最果てにあったりするから中々行けていないのが実情です。今回紹介する白金トンネルはめっちゃ都心にあります。

高級住宅街で有名な白金にあるトンネルが何故絶対に行ってはいけない心霊スポットと称されているのか?

詳細を見ていこう。

 

白金トンネルについて

白金トンネル 入口

私は一時期、白金に住んでいた。

当時、世田谷で仕事をしていたので毎日のようにこのトンネルを通って通勤していたのだが、白金トンネルが心霊スポットだと知らなかった。

ある日、職場の同僚と心霊スポットの話になり『白金トンネル?!あそこはヤバい!』と聞き及んだのが、このトンネルに纏わる心霊の噂を初めて知った時である。

トンネルを通らず迂回して職場に向かうのも可能だったけれど、霊の存在をあまり信じていない私は引越しするまで白金トンネルを使い続けた。

何故、何の変哲もないトンネルがこれ程までに有名な心霊スポットになってしまったのだろうか?

 

白金トンネルを探索

白金トンネル 側道

白金トンネル内は歩行者通行禁止なので側道を歩く。

この辺は港区、渋谷区、品川区の境目となっている。

トンネルは都道418号線の支線になるのかな。上に首都高が走っている。

 

白金トンネル 側道

ひと気が全く無い。

 

白金トンネル 側道

至る所に落書きがあった。

 

ちかん注意

ちかん注意!!

霊よりもちかんが出没しそうな雰囲気がムンムンとする。

 

白金トンネル 側道

徒歩だと意外と長く感じる。

何のための造設されたトンネルだろう?

高速道路の高架を設置するためだけに造られたのか?山や丘があるわけでもないし。

 

白金トンネル 側道

ここが一番薄暗く気味が悪かった。

いちのまる
いちのまる

夜に女性の一人歩きはちょっと危ないかも。

 

白金トンネル 内部

 

白金トンネル 内部

カメラの性能が悪いせいか写りがすこぶる悪い。

 

白金トンネルが心霊スポットとして扱われる理由

白金トンネル

白金トンネルは事故多発地帯と言われている。

カーブが多いトンネルなので実際そうなのかもしれない。

事故が先か霊が先か知らないが、こういう場所はしばしば霊によって事故が引き起こされると語られる。

ここでは霊が先だと仮定して、一体全体何が根拠になっているのだろうか?

・病院があった。

・研究所があって動物・人体実験をしていた。

・かつて処刑場があった。

などと言った説がまことしやかに囁かれているらしい。

ちょっと調べてみた。

・1909年(明治42)測図/1915年(大正4)製版の地図を見ると現在の白金トンネルの西側辺りに衛生材料廠と書かれた建物がある。
・1932年(昭和7)、東京築地の海軍大学校が衛生材料廠跡に移転。
・1955年(昭和30)に海軍大学校が転用され国立予防衛生研究所になる。
・1992年(平成4)、国立予防衛生研究所が新宿に移転。
・現在は国立予防衛生研究所跡地にマンションが建つ。

衛生材料廠は陸軍管轄の軍事施設で名の通り衛生材料(包帯とかガーゼ、綿棒など)を扱っていた。

その後に建った海軍大学校は海軍のエリートを育てるための学校である。

ここまでは心霊スポットと関係ないと思われる。

国立予防衛生研究所。恐らくこれが心霊スポットの原因だろう。

・総務部

・企画調整主幹

・ウイルス第一部

・ウイルス第二部

・ウイルス第三部

・細菌第一部

・細菌第二部

・寄生動物部

・感染病理部

・免疫部

・真菌部

・細胞化学部

・昆虫医科学部

・獣医科学部

・血液・安全性研究部

・品質保証・管理部国際協力室

・バイオセーフティ管理室

・動物管理室

・感染症疫学センター

・エイズ研究センター

・病原体ゲノム解析研究センター

・インフルエンザウイルス研究センター

・ハンセン病研究センター

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』国立感染症研究所より一部引用

国立予防衛生研究所では様々な研究が行われた。

どれも人類の衛生的安全を確保するために欠かせない研究だが、字面はなかなかに強烈である。

なんというか…。ちょっと怖いイメージを抱く方もいらっしゃるのではないだろうか?

また、海軍大学校時代からの建物だったので老朽化が激しく時代錯誤な雰囲気があっただろう。

憶測に過ぎないが、研究内容と古めかしい不気味な建物から誰かが『あそこでは人体実験をしているらしいよ…。』なんて想像して噂を流したのかもしれない。

1988年(昭和63)12月26日の朝日新聞・東京夕刊に『早大・住民、反対叫びスクラム 国立予防研の新宿移転 』という見出しの記事を発見した。

扱う研究がデリケートなものだけに新宿へ移転する際に相当揉めたそうだ。

 

吉田弥一郎の石碑

吉田弥一郎の石碑

探索中に見つけた石碑。

トンネルよりこっちの方が気になった。

この地域(長者丸)を高級住宅地として開発した呉服屋・吉田弥一郎という方の5周年忌に建てられた石碑との事。

調べても詳しいことは出てこなかった。

※追記
吉田弥一郎の三男・吉田幸三郎についての情報をコメントにていただいた。幸三郎は1887年(明治20)に東京市芝区で生を受けた。
美術や古典音楽、演劇などの有形無形文化財の保護に尽力。
弥一郎の呉服屋は豊田屋といい天保年間(1830~1844)に創業されたそうだ。

 

終わりに

以上で終わる。

白金トンネルに纏わる噂を何かご存知の方がいらっしゃれば教えて頂きたい。

コメントでも問い合わせからでもお気軽にご連絡をいただければ幸いである。

コメント

  1. m13 より:

    面白く拝見いたしました。

    吉田弥一郎さんの三男、吉田幸三郎さんの詳細が下記サイトにありました。
    http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10262.html

    ご参考までに。

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