九州地方

大分県

豊薩合戦・戸次川の戦いと長宗我部信親のお墓【大分】

長宗我部元親が提言したように先陣が戸次川を渡ったところで伏兵の銃撃に遭い壊滅、後陣はこれを見て引き返そうとしたところ島津勢は早々に川へ入り追い討ちします。土佐物語によると仙石秀久は小倉の城へ、大友義統は妙見龍王の城へ逃げ込んだとあります。
熊本県

砦に拠るを読んで。蜂の巣城紛争と室原知幸について【熊本】

下筌、松原ダム建設を巡って起きたダム反対運動、蜂の巣城紛争(1958年~1970年)。蜂の巣城紛争はダム水没地区の住民・室原知幸が中心となり、国に対して果敢に挑みました。これは日本国にとって歴史的に重要な戦いとなり、その後の公共事業の在り方や進展に多大な影響を与えました。
大分県

野生動物の骨を捧げるパワースポット・白鹿権現【大分】

神秘的で最恐なパワースポット、白鹿権現(ししごんげん)。この記事には衝撃的な写真が数枚あるので、恐怖系が苦手な方はブラウザバックをしたほうがよいかもしれません。山道の運転に慣れていない方にとっては、なかなか辛い道中になります。
宮崎県

フロイス日本史から見る耳川の合戦【宮崎】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。耳川で起きた戦いだと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。
鹿児島県

東郷平八郎の生涯!彼のゆかりの地を訪れて【鹿児島】

『陸の大山、海の東郷』『東洋のネルソン』『アドミラル・トーゴー』などなど様々な二つ名がある近代日本の窮地を救った英雄・東郷平八郎。東郷平八郎は大日本帝国海軍・連合艦隊を率い、大国ロシアと死闘を繰り広げ、遂には日本を勝利に導きました。今回は主に小笠原長生の【聖將 東鄕平八郎傳】を引用しつつ彼の生涯を追っていきます。
鹿児島県

西南戦争の最期の舞台、城山公園へ

城山には心霊スポットの噂が流れている。武士の霊、少女の霊、子供の霊、トンネルでずぶ濡れの霊などなど、様々な噂があるようだ。あまり認めたくないけれど、城山の戦いでは戦死者が出ているし、彼らは最後の武士であったわけだから武士の霊が出るというのは、なかなか説得力がある。
鹿児島県

桐野利秋誕生地と墓地へ!人斬りと呼ばれた男の人生について【鹿児島】

桐野利秋が主人公の歴史小説【九重の雲】の冒頭。毀誉褒貶と言うけれど、悪いイメージを持っている人の方が多いのではないでしょうか?彼は初め中村半次郎と名乗り活動していました。彼は幕末の四大人斬りの一人に数えられ『人斬り半次郎』という二つ名を持っています。
鹿児島県

『晋どん、もうここらでよか……』別府晋介の人生について【鹿児島】

別府晋介は1847年(弘化4)に鹿児島県吉野村に生を受け、1877年(明治10)に鹿児島県の城山で亡くなりました。先日紹介した桐野利秋は別府晋介の従兄に当たります。幼い頃から二人の仲は良かったそうです。両者とも西郷隆盛の死を見届けて殆ど同時期に亡くなっています。
鹿児島県

『村田新八 西郷と大久保 二人に愛された男』を読んで【鹿児島】

村田新八は幕末から明治初期に活躍した薩摩藩出身の政治家です。1877年(明治10)に起きた西南戦争で西郷隆盛率いる薩軍・第二大隊大隊長として奮戦するも次第に追い詰められ、鹿児島の城山で西郷や桐野利秋、別府晋介らと共に命を落とします。
鹿児島県

寡黙の少将・篠原国幹について【鹿児島】

篠原国幹は薩摩藩の武士、及び陸軍軍人です。戊辰戦争では薩摩藩三番小隊長として鳥羽伏見の戦い、上野戦争、奥羽征伐を転戦。その功績により陸軍大尉、次いで陸軍少将に任命されます。明治六年政変で西郷隆盛が参議を辞職し鹿児島に帰郷すると篠原もそれに追随、1877年の西南戦争で一番大隊大隊長となり奮戦するも吉次峠で銃弾を受け戦死してしまいました。
大分県

東洋のエル・ドラードと謳われた鯛生金山へ!心霊の噂があるけどなんでだろう?

東洋のエル・ドラードと呼ばれ多くの人々で賑わいを見せた鯛生金山。全盛期には日本全国から約3000人の労働者が集い、周辺には病院・小学校・飲食店・配給所などが建ち並び活気ある鉱山町が形成された。第二次世界大戦の影響を受け労働者が徴兵され金の産出量が減少している。戦後に再び操業開始されたが、新しい鉱脈が掘り当てられず1972年に閉山。
宮崎県

宗太郎峠は心霊スポット?とある秘境駅に訪れて

大分県佐伯市の宮崎県延岡市の県境にある宗太郎峠。ネット上ではあまり心霊スポットとして扱われないが、大分県に住んでいたとき『あそこはなんだか不気味な峠だ。』という話をする方がいたので赴いた。峠には小さな集落があり、その上部に宗太郎駅という秘境駅がある。
宮崎県

伊東四十八城の一つ、宮崎城と悲劇の忠臣・権藤種盛について

宮崎城は少なくとも1336年には在り、江戸時代の一国一城令によって取り壊されるまでの凡そ600年間存在した。日向国は1391年以降、島津氏が守護となり、その下で複数の豪族が各地を治めていた。戦国時代になると伊東氏が頭角を現し、次々と領地拡げ一時は日向国の主要地を支配している。
長崎県

日本最大級の内乱、島原・天草の乱と激戦の地、原城の歴史を振り返る

原城は1637年に勃発した島原・天草の乱で一揆勢が籠城し、幕府軍と死闘を繰り広げた場所である。一揆勢は敗戦後に老若男女問わず惨殺され、この地に無造作に埋められた。発掘調査でキリシタン関連の遺物や陶磁器、武器、そして人骨などが確認されている。原城の歴史、島原・天草の乱について簡単に紹介しようと思う。
長崎県

国宝・大浦天主堂の歴史について【長崎】

国宝・大浦天主堂は1865年にプティジャン神父を中心として創建された日本国内最古の現存する教会です。1597年に長崎の地で殉教した日本二十六聖人を称えるために造られたこの天主堂は禁教令で縛られていた隠れキリシタンを解放することに繋がり、日本キリスト史のなかで取り分けて重要な歴史的建造物です。
長崎県

苛烈なキリシタン弾圧が行われた雲仙地獄を眺めながら絶望する私

雲仙普賢岳の南西部に位置する雲仙温泉。雲仙は聖なる山で、かつては修験道の山伏らが修行のため山籠もりをしたと伝わる。奈良時代には僧・行基が温泉山満明寺を開山した。江戸時代初期、雲仙は地獄と化した。江戸幕府によるキリシタンの弾圧である。ここでは見るに堪えない程の拷問や処刑が行われた。