新潟県南魚沼市の”わらび野トンネル“。
1992年(平成4年)竣工の三国川ダム(さぐりがわ)建設の一環で開通されたトンネルだろう。このトンネルには3つの坑口が設けられており、1つはトンネルの途中で抜けていて三国川ダムの天端へと続いている。
対岸に駐車場があるので”わらび野トンネル“を見たい方はそこに停めて天端を歩いて向かうといい。
ダムの直下には野外ステージやキャンプ場があり、季節によってはそれなりに賑わうようである。むかしは露天風呂が開かれていたが、残念ながら閉鎖してしまった。
さて、本題。
“わらび野トンネル”には心霊スポットの噂がある。どうやら2000年(平成12)に起きた凄惨な事件が関係していそうだ。
それでは詳しくみてみよう。
トンネル内焼殺事件について
2000年(平成12)5月22日早朝。
わらび野トンネル内で16歳の少年2名が灯油をかけられ、うち1名は逃走に成功したが、もう1名は着衣に火をかけられ焼死した。死因は火傷によるショック、もしくは酸素欠乏による窒息であった。
犯人グループは以下3名。
元暴力団員のA(34)、暴力団員のB(31)、無職のC(29)。
Aは指示役で、実行したのはBとC。
女性を巡るトラブルから発展した殺人事件であった。
Aは恩義のある知人Dから『娘Eに変な虫が付かないように注意して欲しい』的なことを依頼されていた。家族と交流を重ね次第にAは娘Eに好意を抱くようになっていった。対して娘EはAに恋愛感情はなかった。
Aはラーメン店を経営しており、そこに被害者がアルバイトとして入社。2人は親交を深め、被害者はAの若衆見習いになったようである。その後、被害者と娘Eが知り合い、やがて交際に発展してしまう。それを知ったAは2人がいる前で、知人Dに土下座して謝り、被害者に娘Eとの交際を辞めるように厳重に注意をした。
一度は別れた二人であったが、こっそりと交際を再開した。そしてすぐに発覚してしまう。
よりを戻したことを知ったAはBに『しめろ』また『分からせろ』などと電話で指示を出した。BはCに灯油を用意させ工業団地の外れで合流、Cが運転してきた車に被害者たちを乗せ暴行を加えながら”わらび野トンネル”へ向かった。
犯行当日の午後、Aは知人Dに電話で『ご迷惑をおかけした』と謝罪し、『俺たち流のけじめのつけ方をしました』と述べたと云う。
殺人などの罪に問われていた3名は、2001年(平成13)3月28日の判決公判でAに懲役13年、Bに懲役18年、Cに懲役15年が言い渡された。
Aは控訴し、2002年(平成14)4月24日の控訴審で懲役13年の判決が破棄され、殺人罪ではなく傷害致死罪で懲役8年の判決が下った。
判決の理由は『暴力の指示は出したかもしれないが、殺害までは命じていないから、未必的殺意までは認められない。』からである。
終わりに
三国川ダムの慰霊碑。
ダム建設中に殉職した5名の霊を弔うために建立された。
慰霊碑が置かれているダムをオカルト界隈の連中が見逃すとは考えにくいから、もしかするとこの周辺には焼殺事件以前から心霊の噂があったのかもしれない。
事件があまりに衝撃的だったため”わらび野トンネル”に噂が固定してしまったのではないかと推考してみる。
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