弘前藩の仕置場・取上刑場跡の名残

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陸奥国弘前藩(現・青森県弘前市)の取上刑場跡。

刑場跡の正確な位置はわかっていないが、おおよその場所は判明している。現地には刑死者の霊を弔うために建てられたと伝わるお堂がある。実際に訪れて参拝してきたが、お堂と刑場に直接的な関係があるか断言ができないので現場写真の紹介は差し控えようと思う。

取上刑場の名残であった題目供養塔が南榮院の境内に移転されている。『1984年(昭和59)発行:津軽藩の犯罪と刑罰』に掲載されている題目供養塔の写真が上記画像の左側に写っている白い石碑と酷似しているので、おそらくこれが刑場跡から移されたものだと思う。

弘前藩の裁判は、弘前城の三の丸にあった評定所のほかに、町奉行や寺社奉行宅で行われていたと考えられている。容疑者は馬喰町の牢獄に繋がれた。刑罰は村端や牢屋前でも実施されていたが、刑場は取上の一ヶ所だけであった。そこでは火刑、磔刑、獄門、斬刑などが行われていたそうである。

心霊スポットの噂が流れてしまうのは、刑場の性質上仕方がないことなのかもしれない。本当に幽霊が出るかどうか私は知らないけれど、どのような事情があったにせよ、数多の人々が無念の内に処された場所なのだから。

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