笠間城は、なぜ心霊スポットと云われているのだろうか?

笠間城

茨城県笠間市の佐白山にある笠間城跡。

鎌倉時代に築城され、明治時代に廃城となった歴史的な城郭である。主な遺構は石垣や堀、また櫓と城門が移築され現存する。

私がサイトで取り上げたということは、巷で心霊スポットの噂が囁かれているわけなのだが、それは一先ず捨て置いて城の歴史を見ていくことにしよう。

 

笠間城の歴史

笠間城

笠間城の築城時期は書物によって様々であり定かではない。

1904年(明治37)に帝国古蹟取調会から発行された【古墳 第三巻】には、

元久二年を以て。營舍を創設し。建保三年に及び。山上より山下に接し。城郭を全備し。

帝国古蹟取調会発行 古墳 第三巻 30頁

とある。※元久2年は1205年頃、建保3年は1216年頃

1986年(昭和61)発行の【笠間城のはなし 上】では以下のように記されている。

『聚成笠間誌』に『承久二年(一二二〇)より始めて嘉禎元年(一二三五)城地全く成就す』と記されているから、築城に十六年を要したことになる

田中嘉彦 著 笠間城のはなし 上 2頁

またWikipediaの笠間城の項には承久元年(1219)とある。

 

笠間城

築城者は笠間時朝。

時朝は宇都宮氏の支族・塩谷氏の出自で、常陸国笠間の地を与えられたため笠間と名乗った。

笠間城を築城するに至った経緯がなかなか興味深い。

平安時代の笠間は仏教が盛んで、佐白山に正福寺、その北の七会村に徳蔵寺と呼ばれる寺院があり、両寺共に大勢の僧兵を擁していた。あるとき正福寺と徳蔵寺の間で諍いが起き、武力闘争に発展しかねない状況に陥っていた。

劣勢だった正福寺は下野国の宇都宮頼綱に助けを求め、頼綱がこれを受け弟の朝業の息子である(笠間)時朝を派遣することにした。

早速、時朝は軍勢を率いて佐白山の山麓に拠点を築き徳蔵寺を滅ぼしたが、時朝の軍勢と山麓の拠点に恐れをなした正福寺が反抗の意を示したので『助けてやったのになんだこの野郎!』とブチ切れた時朝はついでに正福寺も滅ぼしてしまった。

このとき、佐白山に築かれた砦や館が笠間城の前身となる。

笠間城

初メ元久中藤原時朝下野ヨリコノ地ニ移リ、城ヲ佐白山上ニ築キ遂ニ笠間氏トナル、子繼キ孫承ケ、十八代ヲ歷テ、天正十八年ニ至リ亡ブ、ソノ後蒲生、松平、永井、淺野、井上、本庄諸氏相續ギテ、此處ニ居リ、元文二年ヨリ永ク牧野氏ノ城市トナリ、屢改修シテ區畫大ニ定マレリ

新編常陸国誌巻四 都邑 笠間より

初め元久年間(1204~1206)に藤原時朝が下野国よりこの地に移り、城を佐白山に築き笠間氏を名乗った。

子が継ぎ、孫を承け、十八代を経て、天正18年(1590)に滅んだ。

その後、蒲生、永井、浅野、井上、本庄諸氏が続いてここにいた。

元文2年(1737)から永く牧野氏の都市となり、しばしば改修して区画が定まった。

およそ380年間、18代に亘って笠間氏の支配が続いた。

1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原征伐で笠間氏は滅亡。主君の宇都宮氏に反逆したため攻め滅ぼされたと云われているが、はっきりしたことはわかっていない。

その後、度重なる城主の変遷を経て、1737年(元文2)に牧野氏が笠間に定着。牧野氏の統治は明治期の廃藩置県まで存続し、その後に発せられた廃城令によって笠間城は破却された。

 

終わりに

笠間城

最後に心霊に関する話をちょっとだけ。

笠間城の曰くとして最も興味深いのは大黒岩の伝説だろう。

これは前述した城の起源となる正福寺と徳蔵寺の諍いに関係している。

兵数に勝る徳蔵寺は意気揚々と佐白山の正福寺に攻め入った。

徳蔵寺勢が山中の細道に差しかかったそのとき。山上の方からガタガタ、ゴトゴトと大きな音が聞こえたかと思うと勢いよく巨岩が転がり落ちてきた。あまりに突然の出来事で僧兵は逃げる間もなく下敷きになって死んでしまった。この奇跡により正福寺は土壇場を切り抜け胸をなでおろした。

佐白山の頂上には二つの大きな岩があったと云う。大黒様の形をした岩と巾着袋の形をした岩だったそうだ。徳蔵寺の僧兵を押し潰した岩は巾着袋の形をしたほうだったが、不思議なことにもう一つあった山上の大黒様の岩も消えていたのであった。

いちのまる
いちのまる

大黒様の御加護で正福寺が救われたという伝説ですね。

まぁ、このあと正福寺も笠間時朝によって滅ぼされちゃうんだけどね。

登城路を東沢の方に行かずに、右へ曲って千人溜に出て、正面の土手を左側から回った後側に大手門の跡がある。ここから南東の方角にあたる土塁の下に、今は埋められてしまったが井戸があったという。

その井戸は仏に供える水、すなわち閼伽を汲んだ井戸であった。この付近に六坊の一つが建てられたので、これを閼伽井坊と呼んだと伝えられている。

田中嘉彦 著 笠間城のはなし 上 66頁

大黒岩の他に井戸にまつわる曰くもあるようだ。

『城内の井戸に女性の遺体が投げ込まれた』とか『ホラー映画【リング】に登場する貞子の井戸のモデルなった場所』だとかまことしやかな噂が囁かれている。両説ともエビデンスが示されていないため信じるに値しないと思うが、どうだろうか。

もし具体的な情報をお持ちの方がいたらこっそり教えていただきたい。

笠間市のホームページに『帯曲輪近くの玉滴(たまだれ)の井戸が残っている』とある。引用した【笠間城のはなし】に閼伽井坊の井戸は埋められてしまったとあるから、噂の井戸は玉滴のほうだろうか。

事前情報なしで笠間城に登城した私は大黒岩や井戸の存在を知らず通り過ぎてしまった。再び訪れる機会に恵まれたならば目を凝らしてゆっくり散策しようかと考えている。

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