1977年からずっと通行止め!草生茂る釈迦堂切通をはるか遠くから惚け眺める…。

釈迦堂口切通し

源頼朝の妻である北条政子が『白い衣を覆い雪山に見立て夏の酷暑を凌いだ』という言い伝えの残る衣張山の中腹に釈迦堂切通はある。

鎌倉七口と呼ばれる鎌倉の外界と繋がる7本の有名な切通しの内には含まれないが、釈迦堂切道の知名度もなかなかに高い。

2010年(平成22)に国指定史跡に認められた大町釈迦堂口遺跡の一部であるが、切通しは崩落の危険があり1977年(昭和52)から現在に至るまで通行止めとなっている。

冬に訪れればもう少しまともな風景を収められたのかもしれないが、真夏の草生に阻まれて切通しの輪郭が微かに判る程度の写真しか撮れなかった。

 

釈迦堂切通の場所

釈迦堂口切通し

南側はこんな風に封鎖されている。

北側はもっと手前に立入禁止のフェンスがあるため、少しでも切通しを眺めたいのであるならば、南口を目指した方がよい。

侵入するなら北側の方が容易いかもしれないが、それは全くおすすめ出来ない。

 

釈迦堂切通の由来

釈迦堂口切通

鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が父、義時の御霊を回向するために建立した釈迦堂が名前の由来となっているそうだが、釈迦堂がどこにあったのかは判明していない。

かつてこの辺りは鎌倉幕府初代執権の北条時政の邸宅(名越邸)として紹介されていた。

しかし発掘調査で複数の建物跡、火葬が行われた跡や多数のやぐらが発見されたことから廃寺の可能性が高いとされている。また発掘された最も古い遺構が北条時政が没した13世紀前半よりも後の時代のものであったことから、名越邸説は覆り、大町釈迦堂口遺跡と名称を改めるに至った。

残念ながら大町釈迦堂口遺跡も立入禁止になっている。(2021年10月21日時点)

 

終わりに

釈迦堂切通には心霊スポットの噂があるらしい。

何故だろうか?

やぐら群の存在が噂の根拠だと思えなくないけれど、鎌倉には無数のやぐらが点在していて全く以て珍しいものでは無い。

『やぐら=曰く付きの』と言い出したらキリが無いと思うのは私だけだろうか?

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