かつて、ここは鬼血骸村(筑波総合研究所)と呼ばれていた。
今でこそ殺風景な廃屋になってしまったが、数十年前までは奇妙な絵や文字の書かれた看板や不気味なオブジェが立ち並び、それらは周辺の住宅地にまで浸食していたと云う。
現在、その名残は殆ど残っていない。
言葉の使い方がシビアになった今日この頃。もう聞かなくなって久しい『電波系』も不適切用語だろうか?
まあ、そういう感じの少々変わった男性がここに住んでいたのだ。
男性は運隆撞覇と名乗り謎の施設・筑波総合研究所を運営していた。あきらかな差別用語である鬼血骸村は理解し難い研究所の光景や彼の支離滅裂な思想から誰かが名付けたに相違ない。
彼や筑波総合研究所についての情報はネット上で語り尽くされているため当サイトで深く掘り下げるつもりはない。
1987年(昭和62)に高校生が運隆撞覇を取材した記録が残っているのでurlを貼っておく。恐らくこのサイトが鬼血骸村(筑波総合研究所)に関する情報の源になっている。
高校生らによる勇気のある突撃調査、運隆撞覇との対面と取材、高校教諭と運隆撞覇の奇跡の会談!
『どうせ創作だろ?』と思っていたが…。
真偽の程は一読してご自身で判断していただきたい。
終わりに
運隆撞覇の語る理解不能な自説のなかに登場する『北畠神社(北畠親房)、NX法則、竜』が記された看板。2021年(令和3)12月時点ではまだ残っていたが、これも直に撤去されてしまうかもしれない。
心霊スポットの噂がある聞いて赴いたわけであるが、間違いなく不可思議で気味の悪い場所だったに違いないけれども、霊的な怖さは全くなかった。
大変興味深いスポットだったが、心霊スポットとはまた別のカテゴリーに属するのではないかと思う。
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