藤塚隧道ってどんな場所?火傷した兵士や武士の霊が出るって云われているらしいけど

藤塚隧道

横浜市保土ヶ谷区、藤塚ICの近くにある藤塚隧道へ。

1953年(昭和28)に竣工された100mに満たない狭小なトンネルである。

オレンジのナトリウム灯が何となく不気味な印象を抱かせる。

 

藤塚隧道

このトンネルでは女性の霊、武士の霊、火傷を負った兵士の霊が出るなんていう噂が流れている。

結論から申し上げるとこれらの噂の根拠となりそうな事件や事故の事実は発見出来なかった。

割と具体的な幽霊の形姿が表現されているので、何かしら情報があるだろうと期待していたのだけれど、残念な結果に終わってしまった。

これで終わってもいいのだが、せっかく色々と調べたので続けようかと思う。

 

藤塚隧道

まず地名から。

トンネルの北側の地名を仏向という。地名の由来が気になるところだ。

いちのまる
いちのまる

仏に向かうって…?死んじゃうってこと?

ではないらしい。

これについては幾つかの説が確認出来る。

『僧侶は修行の身。常に仏に近づいていかなければならない』的な意味のことを言って山号に仏向山と名付けた。

仏餉が訛って仏向になった。仏餉は仏にお供えするお米のこと。この説が正しいのであれば仏餉を生産する地域だったのであろう。

はまれぽ.comさんがとても詳しく調査されているので、気になる方は↓のリンクへ。

地名と幽霊の噂に関係はないだろう。

 

藤塚隧道周辺の航空写真

藤塚隧道

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1956/03/13(昭31)撮影)

『今昔マップ on the web』で明治時代の古地図を確認すると、現在の川島岩間線が殆どそのまま存在しているが、道路沿いに建物はなかった。

上の航空写真は隧道竣工の3年後の1956年(昭和31)のもの。赤い線が藤塚隧道の凡その位置。

トンネル周辺は一面に田畑が広がっている。藤塚隧道の北西ある建物は2022年(令和4)時点で営業中の花卉農園と同位置だから、恐らくはこの辺りの土地持ち農家の家屋や農舎であろう。

 

藤塚隧道

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1963/06/26(昭38)撮影)

1963年(昭和38)、隧道の南西方向にY字形の建物が建つ。

ネットサーフィンをしまくって調べたところ、これは建築家の吉村順三氏が手掛けたソニー研究所だと判明した。

ソニーグループのホームページに研究所建築の歴史が綴られているので興味のある方は下記urlからどうぞ。

 

藤塚隧道

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(2007/04/26(平19)撮影)

2007年(平成19)の航空写真。

ソニー研究所の南西に大規模な長方形の建物が見える。たぶんソニー関連の物件だろう。駐車場に自動車が停まっていないので、もう稼働していなかったのかもしれない。

いつ頃撤去されたのか不明であるが、これらの建物があった場所は2021年(令和3)10月時点で完全な更地になっていた。

 

終わりに

藤塚隧道

武士の霊が出ると聞けば、私は城郭や古戦場を思い浮かべるが、ここはそういう場所ではなさそうだ。火傷した兵士なら近代の戦争や空襲を連想出来るか?

藤塚隧道周辺は農村だったからそれほど空襲の被害は受けていないと思われる。しかし藤塚から東北東に2km程先の星川町は工業地帯だったため猛烈な空襲を受け甚大なる被害を被った。戦災者が落ち延びてこの辺りに辿り着いて云々なんて話があったのかしら。心霊の根拠にするには少々無理矢理な感じが否めないが…。

古いオカルトサイトを確認すると兵士や武士の霊のことは書かれていないので、後付けされただけなのかもしれない。

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