七人みさきが出るという佐伯橋と人形お供え禁止の田原神社へ

田原神社&佐伯橋

山梨県都留市の佐伯橋に幽霊出没の噂があると聞き赴いた。

心霊スポットを紹介するサイトで佐伯橋の霊現象について確認すると概ね『七人みさきが現れて云々…。』と書かれている。

はて?『七人みさき』とは一体?どこかで聞いた事があるような?

それでは詳細を見ていこう。

 

佐伯橋へのアクセス

田原神社&佐伯橋

富士急行線の十日市場駅から徒歩5分。

自動車で行くならば中央自動車道の『富士吉田西桂スマートIC』か『都留IC』から下りて向かおう。

下の地図の田原の滝公園駐車場が便利である。

 

地獄先生ぬ~べ~の七人みさきについて

田原神社&佐伯橋

『七人みさき』と聞いてまず思い浮かべたものは少年ジャンプで連載されていた『地獄先生ぬ~べ~』であった。

同世代の方々ならわかっていただけるのではないだろうか?特に男性諸君は。

錫杖を持った七人の山伏姿の怨霊が列を成した様相。七人は生前と同じ死に方をしないと成仏が出来ない。彼らは必ず七人揃っていなければならず、一人でも欠けると人間を殺して新しい仲間に引き入れようとする。

物語では『七人みさき』の内二人を車で轢いて成仏させた強盗犯の男女二人が、ぬ~べ~先生の勤務する学校へ逃げ込み、それを追いかけてきた『七人みさき』にぬ~べ~先生と生徒が対峙する。強烈に印象に残ったのは霊の類に滅法強い鬼の手を持つぬ~べ~先生が彼らに歯が立たなかったところだ。

最後は逃亡の為に屋外へ逃げた強盗犯に雷が落ちて死亡する。そして2人は『七人みさき』の仲間入りを果たした。

 

七人みさきの伝承

田原神社&佐伯橋

『七人みさき』は四国地方や中国地方に伝わる伝統的な悪霊である。海や川などの水辺に現れる霊と云われることが多い。

常に七人一組で行動し、彼らに出会った人間は大病を患い死んでしまう。そうすると一番の古参が成仏して病気で亡くなった人間の霊を強制的に仲間に迎え入れる。それを延々と繰り返すわけだ。

様々な起源説が語られるが、土佐国(高知県)の長宗我部氏に関わる物語がもっとも腑に落ちるので、これを紹介しようかと思う。

 

長宗我部氏と七人みさき

田原神社&佐伯橋

戦国時代末期、土佐国(高知県)の大名である長宗我部元親は四国の統一を果たしたが、天下人・豊臣秀吉の四国征伐を受け、元親は降伏するより仕方なかった。

降伏によって土佐国を安堵された元親は秀吉より仙石秀久らと鹿児島の島津氏を討伐するため九州へ赴く。

豊後国(大分県)の大友宗麟を助けるべく戸次川で島津氏と対峙。

秀吉は『援軍が馳せ参じるまで待機せよ』と仙石秀久に伝えていた(諸説あり)。しかし秀久はそれを破り島津氏に戦いを挑んだ。

 

田原神社&佐伯橋

ぶつかる両軍。

島津軍は釣り野伏せと呼ばれる奇襲戦法を用いて豊臣軍を完膚なきまでにぶちのめした。

長宗我部元親は後継ぎの信親と共に参軍していたのだが、敵の激しい攻撃によって散り散りとなる。

元親は命からがら落ち延びた。ところが信親は逃げ場を失い命を落としてしまった。

 

田原神社&佐伯橋

この悲劇が『七人みさき』の遠因となっている。

元親は信親の死を受けて明らかに以前と変わってしまった。それまでは家臣の助言や諫言に寛容的であったが、それを許容する度量が無くなってしまったらしい。

信親の死によって後継ぎ問題が発生する。

【元親の次男・香川親和を擁立する吉良親実】vs【四男の盛親を擁立する久武親直】の内訌の図。

本来であれば次男の香川親和が後を継ぐべきだったのだろうが、元親は久武親直の進言を受け入れて盛親を後継ぎに選んだ。

家中の混乱を防ぐために吉良親実は『長幼の序を守るべきである。』と元親に諫言。

これが癪に触ったのか元親は親実に切腹を命じた。

 

佐伯橋に七人みさき?

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主君の命に従い切腹した親実。親実に殉じた(或いは誅殺された)七人の家臣がいた。

この事件の後、元親や久武親直の周囲で不吉な出来事が度々起きたそうだ。吉良親実と七人の家臣の呪いではないかと人々は恐れ戦いた。元親も流石にこれを放置出来ず、彼らの霊を鎮めるための祈祷を行ったと云う。

高知市春野町には吉良親実を御祭神とする吉良神社と七人の家臣を祀る七社明神が鎮座する。

以上が『七人みさき・長宗我部ver.』の由来である。他にも『海の神様ver.』や『広島の山伏ver.』、『平家の落人ver.』などなど様々な物語が伝わっている。どれが七人みさきの根源なのか知る由もないが、時代を経るにつれ各地の類似した伝承が混ざり合い現在の形になったのであろう。

いずれにしても七人みさきは四国や中国地方に古くから語り継がれている怨霊である。遠く離れた山梨の地に現れることがあるのだろうか?似たような言い伝えでも残っていれば納得出来るけれども、そんな言い伝えは恐らく存在しない。

いちのまる
いちのまる

心霊スポットとして噂が広められていくなか『七人みさき』を知っていた誰かが勝手に吹聴して定着したのだと私は考えています。
或いはネット上でそう紹介されているだけで、地元では『そんな話聞いたことないけど?』のパターンかもしれません。

終わりに

田原神社&佐伯橋

2000年(平成12)8月31日の毎日新聞に佐伯橋と田原神社についての記事を発見した。

“人形やぬいぐるみを供えることはご遠慮下さい”と書かれた看板が田原神社に掲げられている。(この看板は今も残っている)

『近くの佐伯橋から子どもを抱いて身投げした女性がいた。子どもが哀れだと誰かが神社に人形をお供えすると、翌日、神社に人形は無く母子の墓前に移動していた。不気味なので神社に人形をお供えしないように神主が看板を設置した。』という曰くがあった。

記者は田原神社の氏子総代に取材を試みる。

『地元にはそんな噂はない。遠く離れた場所でまことしやかな怪談が流布されている。』と氏子総代は笑いながら答えた。

昔、神社に人形をお供えする方がいて神社側が処分に困って注意書き設置したのが真実であった。

佐伯橋で自殺が多発したという噂も存在するが、これは本当らしい。

戦時中から数えて20名くらいが佐伯橋から飛び降りている。特に気の毒だったのが戦時中に疎開してきて困窮極めた末に赤ん坊を抱いたまま身投げした母子だった。田原神社で噂された人形の怪談はこれがモデルになっているのかもしれない。

妊娠が発覚して男に逃げられ投身自殺した女学生、バイクで橋から転落して死亡した僧侶などもいたそうだ。

十数年前に佐伯橋が新しくなってから自殺は発生していないとのことである。

記事をそのまま引用できないので自分なりに要約して紹介した。実際の文章を確認したい方は図書館やデータベースサービスで確認して欲しい。

場違いな『七人みさき』が胡散臭過ぎるので、なんちゃって心霊スポットの類かと思っていたけれど、記事の内容が真実ならば幽霊の噂の根拠はあると認めざるを得ない。

本当に幽霊が出るかどうかは知らないが。

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