府中本町駅から500mほど離れた住宅街。
厳重な柵に囲まれた小さな塚にはこんもりとした榎が生え、その根元には青みがかった板碑が大昔から安置されている。
この塚は新田義貞による鎌倉攻めの一環で起きた分倍河原の戦いの戦没者を弔うために建てられたという伝承から三千人塚と名付けられた。
三千人塚の真実
三千人塚の板碑は摩耗していて素人目には全く読み取れない。
ネットや書籍の情報を確認すると板碑には以下の内容が刻まれていると分かった。
・1256年(康元1)の銘記
・阿弥陀三尊の梵字
・亡き父親を弔ったであろう内容
板碑と塚の関連性は定かでない。もしイコールの関係ならば三千人塚と分倍河原の戦いには何ら関係性がないことになる。
分倍河原の戦いに関する塚に父親を弔った板碑は不自然であるし、また合戦は1333年(元弘3)のことだから辻褄が合わない。元々あった塚に戦没者を埋葬したと考えられなくもないけれど、それらしきものは出土していないようだ。
鎌倉時代から室町時代の在地の有力者一族による小さな塚(墓)の点在した場所が、江戸時代には信仰の対象となり、地元の文化財として今日まで大切にされてきたといえます。
現地案内板より引用
現地の案内板(東京都教育委員会)では三千人塚を以上のように結論付けている。
終わりに
戦没者の霊を弔う塚だと考えられてきたため心霊スポットの噂が流れたのだろうが、昨今の研究によりそれは否定されてしまった。
ただ、墓所という意味では幽霊が出ても不思議ではないのかもしれない。
ところで幽霊には寿命はないのだろうか?
コメント
>ところで幽霊には寿命はないのだろうか?
以前読んだ古代史の本に、とある霊媒師が「道臣命(みちのおみのみこと)」を降霊した話が載っていました。
事実だとすると、道臣命は神武天皇と同世代の、弥生時代頃の人物とされるので、霊魂も少なくともそこまで遡れるということになります。事実とすれば…ですけどね。
剣刀太子王さん
こんにちは。
となると霊には寿命という概念がない可能性もありますね。
それが事実なら…(笑)