凄惨な殺人事件が起きたと噂される七里殺人の森ってどんな場所?

七里殺人の森

七里殺人の森と呼ばれるさいたま市の心霊スポット。

『激昂した子供が父親の首をナタで切り落とし自身も狂死する。』という凄惨な事件が起きた場所と噂されている。

こういう話は発生時期の明示がない場合、虚偽の情報である可能性が極めて高い。ましてや上記のような事件が起きていて記録に残っていないなんてことがあり得ようか。

ナタで人間の首を切り落としたと簡単に云うけれど、ナタは叩き切る道具であり、一刀でスパッと切れるはずもなく、何度も何度も振り落としてやっと捥ぎ取る感じになるだろう。薄暗い森の中だから周囲に飛び散った鮮血こそ目立たないかもしれないが、当事者らは血まみれであったに違いない。

そして加害者は気狂いして死んでしまうのだ。こんな劇的な事件をメディアが放っておくだろうか?

1994年(平成6)1月22日の朝日新聞に『26歳の男性がハンマーのようなもので4、5回殴られ殺害された。』という内容の記事がある。

現場は七里殺人の森と同地区の山林内。具体的な住所までは記されていないので、もしかしたら七里殺人の森のことかもしれないし、全く関係のない場所かもしれない。一ヶ月後の記事に『犯人の手掛かりは一切見つかっていない。』とあり、その後の動向は不明である。

七里殺人の森の『七里』は過去にあった村名であるが現在住所としては残っていない。ちなみに七里と呼ばれた区域にこの森は全く被っていない。恐らくスポットの名づけの親が地名を間違えたのだと思う。

 

森にある三崎稲荷神社について

七里殺人の森

森の中には神社が鎮座していた。随分と古い稲荷社である。

恐らくは東京都千代田区神田三崎町の三崎稲荷神社を勧請した社だろう。鳥居の扁額には『正一位三崎稲荷大明神』、柱には『文政十三庚寅二月』と刻まれていた。

文政13年は西暦でいうと1830年。幕末に活躍した吉田松陰や維新の三傑の一人、大久保利通が生まれた年である。

いちのまる
いちのまる

一枚目の写真の箇所は立入禁止になっていました。神社の参道は反対側にあるので、ここからは入らないようにしよう。場所は詳しく紹介しないけれど。

 

七里殺人の森

三崎社の裏にあった天王宮の石祠は鳥居の年号より古い『天明二壬寅年』のものだった。

天明2年(1782)と言えば江戸最大の飢饉、天明の大飢饉が発生した時期だ。

天王社は牛頭天王やスサノオを御祭神とする祇園信仰に関係している。この二神は疫病退散を御利益としているので飢饉による疫病を憂いて誰かが分霊したのかもしれない。

郷土史などを調べた訳ではないので、実際にこの地域で飢饉の被害があったかどうかも知らない。

勝手な憶測だから適当に聞き流して欲しい。

 

終わりに

七里殺人の森

境内の灯篭や狛犬などは風化や地震などによって欠け落ちたりして満身創痍だったが、境内の清掃はかなり丁寧に行われている様子であった。

ここは数百年も昔から現在に至るまで地元の方々に深く信仰されてきた神聖な場所である。

我々日本人は『神様がいつも見ているから悪い事をすると罰が当たる』と教えられてきたが、そういった意味では幽霊も神様もあまり変わらない気がしないでもない。

神仏や幽霊が存在して、私たちに干渉出来ることが前提になってしまうけれども、神であれ霊であれその領域を犯されて黙って見過ごすことがあるだろうか?

そういった意味では神聖なスポットと心霊スポットは紙一重である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました