東京都

東京本土唯一の村・檜原村の滝をひたすら巡ってきた【東京】

檜原村は東京本土唯一の村。総面積の90%以上が山林で豊かな自然に囲まれています。村の南北を流れる北秋川と南秋川は檜原村役場付近で合流し最後は多摩川に流れ着きます。この2本の河川には多くの滝が点在しています。案内板がない滝や登山しないと見れない滝が多数あり1日や2日では周り切れないぐらいの量です。
栃木県

日本最古の学校・足利学校の風景【栃木】

日本遺産の足利学校は日本一古い学校として知られています。室町時代中期には日本各地から生徒が集まり兵法や易学など様々な学問を教える関東最大の学府になりました。江戸時代に平和が訪れ学ぶべき学問が変わると足利学校は徐々に衰退していき、古書を所蔵する図書館のような施設に変わりました。
愛媛県

大洲城の3つの別称の由来とその歴史について【愛媛】

愛媛県大洲市、肱川のほとりにそびえる大洲城跡。その歴史は古く、鎌倉時代の末期に伊予国の守護として遣わされた宇都宮氏が大洲を拠点とし城を築いたことから始まります。戦国時代には築城名人の藤堂高虎や賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる脇坂安治などが入城し城郭の拡張、改築に取り組みました。
群馬県

ギャンブル運UP?国定忠治の墓にお参りしてきた【群馬】

忠治の墓には『勝負運(ギャンブル運)』の御利益があるとされています。墓石を削ってお守りにするとギャンブルに勝てるという噂が流布されたため、柵が設置されたようです。忠治は博打場の主催者です。元締めはカモを見つけて搾取するのが仕事です。そのような仕事をしていた人間の墓に勝負運のご利益などあるようには思えません。
大分県

豊薩合戦・戸次川の戦いと長宗我部信親のお墓【大分】

長宗我部元親が提言したように先陣が戸次川を渡ったところで伏兵の銃撃に遭い壊滅、後陣はこれを見て引き返そうとしたところ島津勢は早々に川へ入り追い討ちします。土佐物語によると仙石秀久は小倉の城へ、大友義統は妙見龍王の城へ逃げ込んだとあります。
福島県

湯野上観光ホテル(通称・下郷ホテル)近くの慰霊碑について【福島】

湯野上観光ホテル(通称・下郷ホテル)には心霊スポットの噂がある。地下室に生首の霊が出るとか、落ち武者の霊が出るなどと囁かれているようだ。生首はよくわからないが、落ち武者の霊は戊辰戦争と関連付けるオカルトサイトを見かけた。
熊本県

砦に拠るを読んで。蜂の巣城紛争と室原知幸について【熊本】

下筌、松原ダム建設を巡って起きたダム反対運動、蜂の巣城紛争(1958年~1970年)。蜂の巣城紛争はダム水没地区の住民・室原知幸が中心となり、国に対して果敢に挑みました。これは日本国にとって歴史的に重要な戦いとなり、その後の公共事業の在り方や進展に多大な影響を与えました。
神奈川県

国道1号沿いにあった犬の神様【神奈川】

箱根の小涌谷から芦ノ湖に向かう道中で犬の神様と刻まれた珍しい石碑を見つけました。由来も書かれていたので記録に残しておこうかと思います。自動車に轢かれて死んでしまった犬たちを供養するため、また人間に従順で健気な犬たちに感謝するために石碑を建てたことが分かりました。
宮城県

本当に太白山トンネルは心霊スポットなのか?【宮城】

このトンネルには心霊スポットの噂が流れている。列車事故による犠牲者の幽霊が出没するらしい。トンネル内に緊急避難できるようなスペースが設置されているから、これをオカルト界隈の人々が観察して歩行者と列車の接触事故を連想したのではないかと当て推量してみる。実際に接触事故が起きていても不思議はないが。
鳥取県

日本の神話にまつわる白うさぎが祀られる白兎神社【鳥取】

鳥取県の白兎神社。日本神話の因幡の白兎に登場する白兎神が祀られています。八十神たちが八上姫に求婚するため因幡に向かいます。大国主は兄たちの荷物持ちで同伴しました。気多という所で八十神たちは皮膚を剥がされた兎を見つけ治療のアドバイスをします。この助言に従った兎は治るどころか更にひどい傷を負ってしまいます。
秋田県

面影橋と久保田藩の処刑場、草生津刑場について【秋田】

秋田県秋田市、草生津川に架かる面影橋。この先に久保田藩の仕置き場・草生津刑場(くそうづけいじょう)があった。面影の由来は『牢獄から連行される死刑囚が水面に映る最期の自分を見た』からだと云う。
大分県

野生動物の骨を捧げるパワースポット・白鹿権現【大分】

神秘的で最恐なパワースポット、白鹿権現(ししごんげん)。この記事には衝撃的な写真が数枚あるので、恐怖系が苦手な方はブラウザバックをしたほうがよいかもしれません。山道の運転に慣れていない方にとっては、なかなか辛い道中になります。
宮崎県

フロイス日本史から見る耳川の合戦【宮崎】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。耳川で起きた戦いだと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。
山形県

山元隧道に流れる心霊スポットの噂【山形】

山元隧道には心霊スポットの噂が流れている。黒木あるじ氏の山形怪談(竹書房出版)に山元隧道の曰くが語られている。トンネルの近くにある火葬場を関連付ける内容であった。地元紙を参照に書かれた記事のようだから、今度図書館に行って山形新聞を漁ってみようかと思っている。
群馬県

武田勝頼による膳城素肌攻めとはどんな戦い?【群馬】

時は1580年(天正8)。厩橋城(前橋城)を接収した武田勝頼は伊勢崎、大胡、山上の諸城を攻め落とし、境界の巡察を命じました。武田勢は戦うつもりがなかったので、平服のまま小さな旗だけ掲げて膳城の近くに差し掛かりました。
山形県

自然に還りつつある宇津峠の廃トンネル【山形】

旧宇津トンネルには心霊スポットの噂が流れている。写真を撮ると車のリアウインドウに複数の人間の顔が写る。ということらしい。旧宇津トンネルは交通事故が多発した場所で、事故死した人々の霊が彷徨っているみたいな感じで語られている。