情報取集のため心霊サイトをネットサーフィングしていると、原爆ドームを曰く付きの場所として紹介しているサイトが多くて大変驚いた。
たくさんの方々が亡くなった場所であるから、理屈は分からなくもないが、あまりいい気分ではない。『ネット上で噂されている心霊スポットに根拠はあるのか?』をコンセプトにしたサイトなので取り上げない訳にはいかないのだが、戦争史跡について執筆するときはどうすべきかいつも悩む。
心霊スポットの話はこれでおしまい!
広島に原爆が投下される
1945年8月6日午前1時45分。
マリアナ諸島テアニン島から原子爆弾・リトルボーイを搭載したB29エノラ・ゲイが離陸。
午前8時15分17秒。
上空で自動投下されたリトルボーイは43秒後、地上から約600mの位置で炸裂。
『ピカッ!』という眩い閃光を放ち、一瞬の内に広島の街は焦土と化した。
原子爆弾について
ウランやプルトニウムといった元素に中性子を衝突させると、原子核が2つに分かれ(核分裂)、エネルギーを放出する。核分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、連続して核分裂が起こることによって、放出されるエネルギーは巨大なものとなる。このエネルギーを兵器に利用したものが、原子爆弾(原爆)である。
原子の核は陽子と中性子で構成される。
『+の電子を持つ陽子』と『電子を持たない中性子』は核力という力でバランスを保つ。
これに外から中性子を与えバランスを崩すとエネルギーが発生。これを核分裂と呼ぶ。
ウラン235(原子爆弾に使われるウランの名称)の核は核分裂を起こすと放射性物質と平均2.5個の中性子を放出する。
放出された中性子が別のウラン核に入り込むことによって次々と分裂が起き、凄まじいエネルギーが生み出されていく。核分裂が連鎖的に進むことを臨海という。
臨海はもの凄い速さで進み、核の急速なエネルギー放出が小さな火球を作り熱線などを放出する。
これが原子爆弾の仕組みである。
放射能について
放射能、放射線、放射性物質。この3つの違いを電灯に例えると、「放射線」は懐中電灯の光、「放射能」は懐中電灯の光を出す能力のこと。そして懐中電灯は「放射性物質」ということになります。
放射線(ガンマ線や中性子線など)は電磁波の一種。
目に見えない光のようなもので生物に衝突すると体内の原子に反応し、別の原子に変化したり破壊したりする。これを外部被ばくという。
また放射性物質を体内に入れ内部から被ばくすることを内部被ばくと呼ぶ。
被ばくすると免疫力が著しく低下し白血病や癌、様々な病気に罹りやすくなってしまう。
広島の被害
被害者の正確な数は判明していない。
1945年(昭和20)12月の末までに約14万人が亡くなったと推測されている。
爆心地から1.2km以内で直接熱線を浴びた人々は皮膚が焼けただれ即死、もしくは数日で死亡した。
爆風は凄まじく吹き飛ばされて亡くなった人、ガラス片を浴び全身に刺さった人などなど…。
広島は阿鼻叫喚地獄となった。
写真は爆心地の島病院と投下目標とされた相生橋。
原子爆弾は熱線、爆風を運よく避けられた人々にも牙をむく。
爆発から1分以内に大量に降り注いだ放射線は内部から人々を犯した。
残留放射線は救援に駆け付けた人々の命も蝕んだ。
空高く巻き上げられたチリや残骸は黒い雨となって爆心地から北西に向かって降り注いだ。
黒い雨には放射線に侵された放射性物質が多く混じり、爆心地から離れた人々も次々と被ばくしていった。
今も尚、被ばくのため苦しみながら生きている方々がいる。
最後に原爆が落とされた理由について考えよう。
何故、原爆が落とされたのか?
『日本が降伏しないからアメリカは止む無く原爆を落とした。』と昔は認識していた。
まぁ、間違ってはいないと思う。
どちらかと言えば『早く戦争を終わらせたかった。』と言った方が正しいかもしれない。
既に日本は壊滅的だったので放っておいてもそのうち降伏したと思われる。
この頃になるとアメリカの敵は瀕死の日本ではなくソビエト連邦に変わっていた。
日本よりも前に連合国に降伏したドイツは戦後、東(社会主義)と西(資本主義)に分断されたが、アメリカやイギリスはこれを恐れた。
『日本をドイツのようにしてはならない!』
後の世に日本は必ず役に立つと考えた連合国。日本はソ連や中国の壁になるからだ。
広島に原爆が落とされた2日後の8月8日、ソ連は不可侵条約破棄して宣戦布告、中国にあった日本領満州に侵攻。
そしてアメリカは8月9日、2つめの原子爆弾・ファットマンを長崎に投下。
その後、ソ連は北方領土に攻め込み日本は防衛戦を強いられる。
ここで日本は降伏しますがソ連は止まらなかった。こうして北方領土は占領されてしまう。
太平洋戦争が長引けば北海道や東北までソ連に占領されていたかもしれない。
この予想の裏に原爆投下があると思う。
終わりに
社会主義国家に日本を奪取されてなるものかと原子爆弾が落とされた。
人体実験の一面もあっただろう。原子爆弾の威力を知りたかった。
広島は戦時中ほとんど空襲を受けなかったという。これは原爆の殺傷能力を見るためだったのかもしれない。
ウラン、プルトニウムと別々の爆弾を用意し投下したのもこうした理由からではないか。
何れにしても原爆投下は許されることではない。
日本に2つの原子爆弾が落とされてから、対人間には使用されていない。(実験で被害に遭った人たちはいるが)
もう二度と使用されることがないよう願うばかりである。
『無知ながら書籍やらネットなどで調べてから自分なりにこうなんだろうと考え書きました。もし間違いや勘違いがありましたらお知らせいただければ嬉しいです。』
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