熊本県人吉市と宮崎県えびの市を繋ぐ堀切峠(加久藤峠)に設置された人吉ループ橋。
国道221号改築記念碑に次のように書かれている。
加久藤峠は、明治中期に急峻な地形を切り開き馬車道としてつくられ、幾多の人々がこの険しい道を利用してきました。しかしながら、産業文化の発展並びに高度経済成長に伴う道路交通需要の増大によって、
この峠道を改築する必要が生じましたが、このことは、地域住民はもとより南九州地区民の宿願でもありました。建設省は、昭和41年4月にこの峠を含む延長24kmの改築工事に着手し、幾多の困難を克服して14年の歳月と167億円の費用を投入し、昭和54年8月に工事を完成させました。ここに本事業に尽力された人々への感謝をこめて記念碑を建立しその恩恵が永遠であることを祈るものであります。
昭和54年8月10日
国道221号改築記念碑より引用
最後の一文が何とも切ないが、1995年(平成7)に九州自動車道・人吉IC~えびのICが開通したことで交通量はかなり減少したとの事。
さて本題!
人吉ループ橋はどういうわけか心霊スポットとして知られている。
今回はその理由に迫ってみよう。
人吉ループ橋の場所
人吉ICを下りて突き当りを左折。1.5km程進むとまた丁字路に当たるので今度は右折。次の信号『人吉市 願成寺』を左折し曙橋を渡る。
2.5km程道なりに進むと国道219号線に当たるので、そこを左折。2~3分走るとえびの市方面行きの分岐があるので、そこに入る。
しばらく進めば人吉ループ橋に入る。
(実はえびの市側からの方が道が簡単だし近かったりする。)
心霊スポットだと言われる理由
幾つかの心霊スポットサイトを覗いてみると『交通事故が多い』とか『自ら命を落とす方がいる』といったようなことが紹介されている。
実際そうなのか気になったので調査してみた。
人吉ループ橋の最も下にある鴬橋からワゴン車が欄干を突き破り転落。20m下に落ちたにも関わらず運転手は軽傷で済んだ。
ループ橋途中の橋脚に衝突したとみられる自動車が片側車線を塞いだ状態で発見。更に橋の下から女性の遺体が見つかった。原因は書かれていなかった。
ついでなので、えびの市側にある『えびのループ橋(霧の大橋)』についても調べた。※写真は人吉ループ橋。
中央線を越えてきた乗用車とトラックが衝突。トラックはガードレールを突き破り50m転落。トラックの運転手は頭の骨折し間もなく亡くなった。
橋の欄干が壊れて車の破片が散乱していると通報が入った。
約100m下の斜面から乗用車が見つかり中から全身を強く打った男性の遺体を発見。現場はゆるやかな片側一車線のカーブ。
男性は対向車線と歩道を越え欄干を突き破り転落したと見られている。ブレーキ痕はなかったとの事。
交通事故以外の理由は?
人吉ループ橋は意外と道が狭く大型のトラックなどとすれ違う時は神経を使う。
新聞に載らないような小さな事故は頻繁に発生しているのであろう。場所が場所だけに一つの過ちが大きな事故に繋がってしまう感じだろうか?
交通事故以外に心霊スポットの由縁となる事柄がないか調べていると西南戦争に関する情報が出てきた。
といっても人吉の戦いで敗れた西郷軍が加久藤峠を越えて飯野方面(宮崎県)に撤退したというものなので、ここで大きな合戦が行われたわけでは無い。ただ、ループ橋近くの大畑(おこば)で政府軍を迎え撃ったとあることから多少の戦死者はあったかもしれない。
まぁ、心霊スポットと噂される原因は交通事故だと思います。
『橋から落ちて…。』という事故はインパクトが強いので記憶に残りますからね。
人吉ループ橋の下へ
パーキングに下へ続く石畳の道があったので歩いてみた。
2~3分下ると石畳は途絶え道なき道となる。
橋の下から撮影。
生い茂る草を掻き分けながら進んだ。
ループ橋の下部分と繋がっていた。
旧道か?或いは工事で使用された道だろうか?
出口は藪で覆われていたため断念して引き返した。
橋柱付近を探索していると…。
石碑?
うっすら何かが彫られているような。
気のせいか?
橋柱のすぐ近くなので間違いなく工事によって整地された場所である。
ループ橋が完成したあとに建てられたものだろうか。それとも昔からあった石碑を一度移動させて元に戻したのか。或いはただの石なのか。
わからん!
終わりに
そもそも石畳の道は何のために設置されたのだろうか?
公園でも造るつもりだったのかしら。
以上!
コメント