福島県磐梯山の北麓に広がる五色沼は、1888年(明治21)の磐梯山噴火によって造られた湖沼群である。水中の成分や気候により様々な色彩を見せることから五色沼と呼ばれるようになったそうだ。
沼に沿って約4kmの遊歩道が整備されている。平坦な遊歩道なので健脚者なら気軽に散策ができる。ただ季節によっては熊が出没するのでご注意を。
形成されてから100年とちょっとしか経っていない五色沼には、歴史のある沼池や湖にみられるような伝説は残されていないため多くは語れないけれど、せっかく訪問して来たのでひとつひとつ紹介しようと思う。
心霊スポットの噂については文末でちょっとだけ触れることにする。
毘沙門沼
五色沼のなかで最も大きい沼。他に比べて酸性度が低い。場所によって生息する魚類や水草が異なる。言い方は良くないかもしれないが、どこにでもありそうな沼である。
赤沼
鉄イオンとマンガンイオンが他の沼と比べると格段に多い。むかしは鉄の濃度がもっと高く赤銅色の沼だったらしい。今はやや暗い空色といったところか。岸にヨシが生えるくらいで、魚類は皆無である。
みどろ沼
白緑色と赤銅色の2色が楽しめる沼。フトヒルムシロやオヒルムシロが群生している。とても生物が生きていけるような色をしていないが、竜沼寄りには魚類が生息しているとのこと。
竜沼
硫酸イオンやカルシウムが多い。pHは中性でアブラハヤやウグイが生息しているようである。草が生い茂っていて沼の様子がさっぱりわからなかった。
弁天沼
毘沙門沼の次に大きい沼。西側の湖底にはウカミカマゴケ、東側の湖底にはフトヒルムシロが群生している。生物は湖上でカルガモが泳いでいるくらい。
るり沼
硫酸イオンとカルシウムの濃度が高い。水質は酸性。マット状に繁茂するウカミカマゴケが湖底を覆っている。生物はほとんど生息していない。
青沼
るり沼と似た水質でウカミカマゴケが湖底を覆っている。沿岸にトンボやセンブリの幼生が見られるだけで魚はいない。
柳沼
コウガイモやヒロハノエビモなどの水草。ウグイ、フナ、ナマズなど多くの魚類が生息している。毘沙門沼と同様にどこにでもありそうな沼の景観だった。
終わりに
写真は柳沼の近くにある遠藤現夢(十次郎)の墓。
明治期の磐梯山噴火の後、裏磐梯の草木は失われ荒涼とした光景が広がっていた。この問題に明治政府は『植林を成功させた者に土地を安く売る』と緑化を目指した対策を講じる。数名が手を挙げて植林に挑んだが、なかなか成功には至らなかった。
最後の挑戦者がここに眠る遠藤現夢である。(実際に埋葬されているか知らないが)
遠藤現夢は会津若松の商人で『将来、ここは立派な観光地になるだろう』と、1910年(明治43)から松の植林を始めた。緑化に勤しむ現夢やその仲間の姿に感化された林学者の中郷弥六博士も参加した。柳沼から南西に400~500mの位置にある弥六沼は博士の名前が由来になっている。
彼らの努力の成果は現在の裏磐梯を見れば明らかであろう。
さて、ここで筆を擱きたいところだが、このサイトの主題は心霊スポットの考察なのだから、それを無視して終わるわけにはいかない。まず、データベースサービスで五色沼に関わる事件や事故の有無を調べてみたが、特筆すべき情報は見つからなかった。
となれば磐梯山の噴火が原因だろうか。
噴火によって周辺の5村11集落が壊滅し、477名が亡くなった。特に被害が甚大だった裏磐梯では、全死者の約60%にあたる275名の命が失われている。五色沼の西にある桧原湖の底には被災した集落が沈む。
五色沼湖沼群内には人知れず磐梯噴火災死之人碑が建っていた。
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