長野県飯田市、天竜川に架かる南原橋。読み方は『みなばら』で名称の由来は地名。
南原橋の歴史は古く、現在の南原橋は十二代目となる。
最初に架けられたのは現橋から数百メートル下流の黒瀬ヶ渕で、竣工は1870年(明治3)。形状は刎橋であった。当時は天竜橋と呼ばれていた。私は確認できなかったが穿孔跡が残っているとのこと。舟下りを利用しないと見られないかも。
四代目から七代目は現在の架橋位置に近づき黒沢橋と名付けられた。1884年(明治17)に刎橋を架けたがすぐに流出してしまう。天竜川に刎橋は不向きだったそうで以後は主に吊橋が架けられた。五・六代目は吊橋、七代目はトラス式が採用されている。
八代目が架けられたのは1899年(明治32)、形状は吊橋で、天南橋と名付けられた。天竜川の『天』と南原の『南』が名前の由来か?
九代目から現在の位置に架橋。名称も南原橋となり現在に至る。
古来天龍川ハ洪水多ク東西交通ノ不便ヲ感スル事甚シ為ニ橋爪保三郎外十二名ハ公衆ノ便ヲ慮リ天龍川ニ嚆矢タル架橋ノ議ヲ越シ明治二年南原橋ヲ起工翌年竣工ス爾来下記諸氏該橋ノ存置ニ努め(ママ)架ケ替スル事九回慈(ママ)ニ六十年産ヲ傾クル者多シ而シテ現橋持主下記四十七名ハ時代ノ趨勢ニ鑑ミ公益ノ為社会ヘ解放(ママ)シ公有トス之ヲ永遠ニ記念センガ為メ当碑ヲ建立ス
昭和三年四月六日
1986年 伊那史学会発行 伊那 34より引用
南原橋には心霊スポットの噂がある。どうやら自殺の名所と囁かれているようだ。噂される幽霊も『川をのぞき込む女性の霊』や『飛び降り自殺を繰り返す男性の霊』のように自殺と関連している。
自殺の名所というくらいだからそれなりに情報があってしかるべきだと思うのだが、X(旧Twitter)でそれを匂わせる投稿が2、3件あっただけで、新聞記事のデータデースでは1件も見つからなかった。
明らかな自殺の場合は殺人や死亡事故と違って新聞やテレビニュースで取り上げられない可能性が高いので全く自殺がなかったとは言えないが、自殺の名所は間違いなく言い過ぎだろう。1件でも自殺があれば幽霊が出る可能性があると言われればそうなのかもしれないけれど、私には幽霊が見えないので沈黙するしかない。
警察関係者による『長野県犯罪実話集捕物秘話』という興味深い記述があったので引用しよう。
直下を見れば寒さを覚え肌に粟を生ずるごとき戦慄りつにおちいるという、美観と恐怖のコントラストを持っていた。こうした橋であるので、昔から投身自殺をしたものはないという珍しい記録を持っている。土地の人たちの間では、死神にとりつかれた者が投身のためにこの橋にきて、いざ投身しようとしてもあまりの恐ろしさ、険しさ、ものすごさにたじろぎ、どうせ死ぬならやすきにつくという心理に支配されて、心変わりして中止してしまう、といわれているくらいである。
長野県犯罪実話集捕物秘話 第4集 南原橋の子殺し
かなり古い書物なので、今はどうだかしらないが、当時は自殺がなかったらしい。ただ内容的に投身を試みようとした人はいたのだろう。
ちなみにこの書物は実際に起きた犯罪の経緯を示したものである。この記述は『南原橋の子殺し』という表題の章にある。
1931年(昭和6)、南原橋に女児の下駄がそろえて置かれていた。その後、天竜川の下流で女児の遺体が発見される。死因は窒息死だったが、入水前に死んでいると分かった。
犯人は父親。
大酒飲みでそこらじゅうで借金をつくり子供を育てる余裕がなく犯行に及んだ。母親は既に他界しており、子供に『母さんのところへいこう』と誘って南原橋から天竜川へ投げ込んだという。
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